私は普段、SNSを頻繁に利用している。友人とのやり取りや、趣味の情報収集には欠かせないツールだ。いつも通り、ある日も何気なくツイートをしていた。その日は特に変わったこともなく、仕事の愚痴や週末の予定を書いただけだった。
しかし、ある日を境に、私のアカウントに見慣れないユーザーからの返信が来るようになった。最初は別段気にしていなかった。SNSでは多くの人と繋がることができる。それが魅力でもあるからだ。しかし、そのユーザー、仮にAとしよう、Aからのメッセージは日を追うごとに頻繁になり、内容も次第に個人的なものに変わっていった。
初めてのメッセージは「面白いですね!」というものだった。それは私の何気ない日常のツイートに対するものだったので、軽く流した。しかし、その後も返事を続けるうちに、Aは私の過去の投稿や、細かな生活習慣についてもコメントするようになってきた。
「今日もカフェにいるんですか?」というコメントが来た時、私は思わず背筋が寒くなった。その日は確かにカフェで過ごしていたが、そんなことは一切ツイートしていなかった。Aはさらにディープな質問を投げかけてきた。「昨日の夜中、眠れませんでしたか?」私はその日、寝付けなくて朝まで映画を見ていたが、それも当然SNSには書いていない。
そこから、私はAのコメントに警戒心を抱くようになり、アカウントの設定を見直した。プライベートな投稿は限られたフォロワーにしか公開していないはず。それなのにどうしてAは私の生活を知っているのだろう?私は不安を抱えつつも、仕事に集中しようとした。
日々は忙しく、Aのことも少しずつ気にしないようにしていった。だが、ある日、仕事からの帰り道、いつも通る裏通りで、ふと背後に視線を感じた。振り返っても誰もいない。しかしその夜、Aからのメッセージで「すれ違いましたね」と送られてきた瞬間、恐怖は現実に形を成した。
これは本物のストーカーだと直感した私は、警察に相談することに決めた。しかし、ネット上のやり取りだけでは具体的な証拠にはならず、真摯に取り扱ってもらうことは難しかった。SNSのアカウントを非公開にし、フォロワーも信頼できる知人だけに絞ったが、Aは別のアカウントからメッセージを送り続けてきた。
「バレるのそんなに怖い?」というAのメッセージは、私をますます追い詰めた。自分の行動がすべて監視されているかのような感覚に囚われ、何をするにも慎重になった。しかし、どんなに注意しても、Aのメッセージは私の生活を知り尽くしているようだった。
精神的に追い詰められた私は、友人に相談した。だが、友人たちもどこか他人事のようで、「ネットでのことだからそんなに気にしなくても」という反応が多かった。私自身、自分が過剰に反応しているのではないか、とすら思うようになった。
そんなある日、会社から帰宅すると、自宅の郵便受けに手紙が入っていた。差出人の名はなく、封筒には私のフルネームだけが書かれていた。恐る恐る開封すると、そこには「すぐに会いたい」という一文だけが書かれていた。ドアの鍵がちゃんとかかっているか、家中を確認せずにはいられなかった。
ついに我慢の限界が来て、私は再度警察に相談、「現実のストーカーかもしれない」という訴えをした。今回ばかりは真剣に捜査が始まった。しかし、Aが使用しているアカウントの情報は偽装されており、特定には至らなかった。それでも、警察が調査を進める中、Aからのメッセージは突如ピタリとやんだ。
SNSや現実の怖さに怯えたこの体験は、私の生活に大きな影響を与えた。現在でも、人混みの中で背後に視線を感じると、心中に居座った恐怖が顔を出してくる。プライバシーを守るため、SNSも最小限の使用に留めるようにしている。
現代の便利なツールであるはずのSNSが、ここまでの恐怖を生むことがあるという事実は、誰にでも起こり得る身近な出来事だ。いつでも、どこでも誰とでも繋がれる世の中で、どこに自分の境界線を引くべきか、私は身をもって知ることになった。この体験を通じて、他人の行動を安易に許しすぎてはいけないという教訓を得た。
現代の監視社会で、目に見えない恐怖がどこに潜んでいるかはわからない。私たち一人一人が、自分の情報をどのように管理するか、常に意識しなければならない時代なのだと痛感している。私は、Aの正体を知ることもなく、未だに恐怖を抱えたままだ。この教訓を活かし、できる限り安全な日常を送っていきたい。