不気味なアパートの記憶

違和感

私は大学時代、地方の小さなアパートに住んでいた。周囲は田舎特有の静けさに包まれ、夜になれば街灯もまばらで、月明かりが頼りになるような場所だった。そのころの私は、特に怖いものなどないと思っていた。

ある晩のことだった。友人たちとの集まりで遅くなり、帰り道を一人で歩いていた。人気のない道を歩いていると、ふと人の気配がした。振り返ってみても誰もいない。ただ、風が木々を揺らす音が耳に響いていた。その時は、それほど気に留めなかったのだが、後になって考えるとその夜から何かがおかしくなった気がする。

数日後、家で勉強していると、背後から微かな音が聞こえた。振り返ると何もない。だが、それからというもの、家の中で妙な違和感を感じるようになった。例えば、置いたはずの本がずれていたり、食器が微妙に位置を変えていたりする。最初は自分が無意識に動かしてしまったのだろうと考えたが、徐々にそれが頻繁になり始めた。

ある晩、寝ようとしている時のことだった。眠りかけたところで、はっきりと部屋の隅から「カサッ」という音がした。飛び起きて電気をつけたが、そこには何もない。気のせいだと思おうとしても、その日はどうも寝付けなかった。

そんな現象が続いたある日、大学で遅くまで実験のレポートをまとめていた時、友人のKが訪ねてきた。彼はおっとりした性格で、怖い話などにはめったに参加しないタイプだったのだが、この日は何か話したそうにしていた。

「最近、どうも様子が変だって噂を聞いてさ」とKが切り出した。「俺も詳しくは知らないけど、前にこの部屋に住んでいた人たちも同じようなことを言ってたらしいんだ」

「具体的に何かあったのか?」と私は興味半分、不安半分で聞いた。

「いや、ただ単に物がよく動くとか、話し声がするっていう話だったと思う。でも、気のせいだろうっていうことで、みんな忘れてるみたいだったよ」とKは言った。

それからも奇妙な現象は続いた。例えば、夜中になると必ず、壁越しに誰かがしきりに囁くような音が聞こえてくる。隣の部屋には誰もいないはずなのに、と不思議に思いながらも耳を澄ます。でも、何を言っているのかはわからない。ただ、そこに誰かがいることだけはわかった。

ある時、とうとう我慢できなくなった私は、管理人に相談することにした。「実は、何かおかしいんです」と切り出した私に、管理人は意外にも静かにうなずいた。

「この部屋、以前も同じような苦情があってね」と管理人。「だけど原因は分からなくて。一度業者に見てもらったことがあるんだけど、特に異常はなかったんだ」

その話を聞いて、私はますます不安になった。原因が分からないというのが一番怖い。見えないものの正体が何なのかも分からず、ただ不安だけが募る。

ある日、家に帰るといつもと違う匂いがした。腐敗臭のような、でもどこか甘いような、得体の知れない匂いだった。もうその時には、頭の中で何かが警鐘を鳴らしていた。だが、どうすることもできず、何も変わらない自分の部屋でただ立ち尽くすだけだった。

翌朝、その匂いは消えていたが、心に残る不安は消えなかった。私は気休めに、部屋に塩を撒いてみたり、線香を焚いてみたりしたが、気休めにしかならなかった。

それでも時は流れ、いつしか私はその奇妙な現象に慣れ始めていた。何かがおかしいという感覚が日常になり、それが正しいのかもしれないと思い始めていた。

卒業の日が近づくにつれ、私はやっとこの部屋を離れるのだとほっとしていた。最後の夜、荷物をまとめていると、突然テレビが砂嵐になった。電源を切っても、再度つけるとやっぱり砂嵐だった。その時、あの囁きがまた聞こえてきた。今度は、はっきりと私の名前を呼んでいた。

その瞬間、背筋がゾクリとした。恐怖とともに、この部屋を本当に出て行くのが正しいのか、少しだけためらってしまった。何かを置き去りにするような、奇妙な罪悪感が胸を締め付けた。

翌日、アパートを出る時、どうしても振り返らずにはいられなかった。部屋の窓から誰かがこちらを見ているような気がしてならなかったのだ。でも、そこには当然何もいなかった。

今となっては、あの時間が夢だったのか現実だったのか、私にも分からなくなってきている。ただ、一つ言えることは、あの部屋には何かがおかしいということだった。たとえそれが何であれ、私の中でそれは忘れることができない体験として、心の奥に残り続けている。

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