未知なる異世界への扉

異次元

ある晩、無名の中年作家である坂井俊介は、その日も自室で執筆に耽っていた。彼はここしばらく奇妙な夢に悩まされており、その夢は次第に彼の心を苛み、現実とも夢ともつかぬ不気味な感覚を残していた。夢の中で彼は、時空を超えた空間に佇んでおり、理解を超えた存在と対峙していた。

その存在は、形容しがたい影のようなものだが、なぜか強烈な孤独感と恐怖を覚えさせた。夢から覚めた後もその感覚を引きずる彼は、何か論理的な説明ができるのではないかと考え、夢の詳細なメモを取り始めた。これが一種の未解決事件だとしたら、自分がその探偵になるしかない、と決意したのだ。

最初は夢の中の風景を再現する形でメモを取っていたが、次第に彼は、夢の中で見た不思議な紋様やシンボルにも意味があるのではと考え始めた。彼は図書館に通い、オカルティックな書籍や失われた古代文明について研究するようになった。すると、驚くべきことに彼の夢に現れるシンボルの一つが、シュメール文明の一部に記されていた未解読の象形文字と一致していることを発見した。

坂井は何かを掴んだという感触を覚え、研究をさらに進めるうちに、異次元に繋がる「ドア」とされる伝説的な儀式について記述された文章を見つけた。それは、特定の地点で特定の言葉を唱えることで開くという信じがたい内容だった。彼の夢に出てきた風景が、その場所であると直感した坂井は、迷うことなくその場所へ向かうことを決意する。

ある雨の降る夜、彼は東京都郊外のとある森に向かった。夜が深まるにつれ、その場所は不気味な静けさに包まれ、坂井は震える手で書籍に記された言葉を呟いた。次の瞬間、彼の周囲は眩い光に包まれ、彼の視界は一瞬にして異なる風景に変わった。夢の中で見たあの異様な空間が、現実となって彼の前に広がっていたのだ。

「これは…現実なのか?」彼は夢ではないことを理解しながらも、自分自身に問いかけた。目の前にはあの存在が浮かび上がり、その内には深淵とでも呼ぶべき何かが渦巻いている。坂井は恐怖のあまり後退りしようとしたが、その存在は彼に対して意識を向けるだけで彼をその場に縛りつけた。

論理的に説明することのできない恐怖が彼を襲い、彼はもはや思考を続けることができなくなった。ただ、その存在を前にして、あらゆる人間の歴史や文化、科学が無力であることを痛感した。彼はその存在が時間や空間の概念を遥か超越したものであることを理解したが、理解の先にあるものは、言葉にできないほどの絶望だった。

その瞬間、彼の脳裏に一瞬だけ意識が流れ込んできた。その存在の目的、そしてこれまで数多の文明が過ちを繰り返し、その度に消し去られてきたことを知った。自己を顕現した異次元の知性体は、人間の目には見えない次元の均衡を保ちつつ、試みを脅威とみなした者たちを消去してきたのだ。

坂井が見た夢は、その知性体の「警告」だったのだ。しかし、彼はそのことを知りながらも、恐怖に駆られてその場を逃げようと考えた。しかし動くことが許されるはずもなく、その存在との対峙のなかで彼の意識はふっと途切れた。

翌朝、彼の体は森の中で発見された。意識不明の重体であったが、命自体は奇跡的に助かった。しかし彼の口から紡がれる言葉は何もなく、自らの名すら忘れている状態であった。それ以降、彼は一つの例外を除き、一切の言葉を発しない状態が続いた。その例外とは、時折ふいに発せられる「ドア」という言葉だった。

現在、坂井はとある施設で静かに暮らしているが、彼の脳裏には未だにあの異形の存在がちらついているのだろう。ただ一人、彼の持つ「知識」を知る者として、私たちは彼が恐怖を克服する日が来ることを信じているが、同時にそれが来ないことを望むべきなのかもしれない。彼が見た「向こうの世界」は、我々が踏み入れるべきではない、無限の闇を孕んでいるのだから。

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