月夜の訪問者と奇妙な体験

違和感

僕が体験した、あの奇妙な一夜を語ろうと思う。大学生の頃、友人のAと夏休みを利用して、少し離れた山奥の村に旅をする計画を立てた。この村は観光地ではないが、古い日本の情緒を残しているということで、二人とも興味を持っていた。

村に着いたのは夕方近くだった。思った以上に静かな場所で、息を呑むような緑の風景が広がっていた。お年寄りしかいないような田舎の村で、民宿も一軒しかなく、そこに泊まることにした。宿の女将は優しい笑顔で迎えてくれ、今夜は他に宿泊客がいないということで、ゆっくりしていけと言われた。

その夜、何かがいつもと違う気がして、眠れずにいた。宿の窓からは月光が差し込んでいたが、満月の夜にしては異様に明るい。月がこんなにも青白く輝くものかと不思議に思い、Aにそのことを話すと、彼も同じように感じていたらしい。

「あの月、何かおかしいよな」

そう言ってAと二人で窓から外を見ると、信じられないことに気付いた。月の下に何か影のようなものが浮かんでいる。それは人の形をしていたが、どんなに目を凝らしてもはっきりとは見えない。

「ただの影だろう」と自分に言い聞かせても、その影は次第に動き出し、ゆっくりと地上に降りてきた。そして、静かに宿の中に入り込んできたのだ。

「いや、気のせいじゃない」とAが震える声で言った。僕も何とも言えない不気味さを感じた。影は音もなく部屋の中を動き回り、特に僕たちに危害を加えることもなかったが、その存在感だけで十分怖かった。

やがて影は窓を通って外に出ていった。僕たちがどっと安心したその時、突然玄関の方から誰かが入ってくるのを感じた。驚いて玄関に向かうと、管理人の女性がそこに立っていた。寝巻姿で、じっと僕たちを見つめている。

「何か困ったことでも?」

彼女の声は普通だったが、その目だけは何かがおかしい。焦点が定まらず、どこかこちらを見透かしているようで、何も話さずにいた僕たちに微笑みかけてきた。

「この辺り、何があっても驚かないでね」

それだけ言うと、彼女は踵を返して部屋に戻っていった。僕たちは何も言えず、ただその場に立ち尽くしていた。その後、多少の恐怖を抱えつつも部屋に戻り何とか眠ろうとすると、再び窓の外に目が行った。今度は何も見えなかったが、不安は消え去らず、最後までなかなか寝付けなかった。

翌朝、支度をして宿を出る準備をしていると、またあの管理人が現れた。昨晩のことをそれとなく聞いてみたが、彼女は「そんなこと、うちの宿ではよくあることです」と、不思議そうに微笑んだだけだった。

村を後にしてからも、僕たちはその夜のことを何度も話題にした。Aは一緒に見たことを確認するように、何度も「あれ、本当に人だったと思うか?」と繰り返し聞いてきた。僕も何度も同意したが、決してそれ以上の結論にはたどり着かない。

その後、何年も経ったある日のこと。ふと立ち寄った古本屋で、偶然あの村に関する古い資料を見つけた。そこには、その地域で言い伝えられている「月夜の訪問者」についての伝承が記されており、人々を驚かせるが決して害をなすことはないという内容だった。あの夜の影は、もしかするとこの伝承にある「訪問者」だったのかもしれない。思い返してみれば、あの奇妙な体験は夢か現実かわからない、不思議な出来事として、未だに心に引っかかっている。

あの世にも奇妙な一夜を、僕とAは一生忘れないだろう。何が本当に起こったのか、未だに確信を持てないまま、僕たちはそれをただの思い出として胸にしまい込んでいる。

タイトルとURLをコピーしました