鏡の中の異世界への誘惑と恐怖

異次元

私は、ある週末の夜、友人たちといつも通り夜を楽しんでいました。居酒屋でおしゃべりをし、飲み、笑い合う――それが当たり前の日常でした。しかし、その夜はどこか違っていました。帰り道になると、空気がしんと冷たく、街灯もいつもより少なく感じ、路地裏はひどく暗く見えたのです。

その日、私はふとしたきっかけで、馴染みのない路地に足を踏み入れました。なぜそんなことをしたのか、自分でもよく分かりません。ただ、その瞬間、何かに引き寄せられるような感覚があったのです。細い道が闇に吸い込まれるかのように続いており、その先には何があるのか、興味に駆られてしまいました。

路地を進むにつれ、世界が変わっていくようでした。時間の感覚が曖昧になり、周りの景色が揺れ動く。吐く息が白く漂い、一歩一歩が闇に溶け込むような奇妙な感覚でした。しばらく行くと、不意に空間が広がり、見覚えのない場所に出ました。そこは、人々の気配は感じられず、無機質な建物が立ち並ぶ無人の区画でした。

目の前には、一軒の古びた建物が立っていました。無意識に足がその建物に向かい、気づけばドアの前に立っていました。手を伸ばすと、古い扉は軽く開き、軋む音を立てました。中に足を踏み入れると、異様な光が辺りを照らし、周囲の空間が歪んで見えました。

部屋の中には、奇妙な模様が刻まれた大きな鏡があり、その鏡面は滑らかでありながら不透明で、まるで生きているかのように脈動していました。ふいに、何かを感じ取るように鏡に手を触れると、冷たい感触が指先に伝わりました。その瞬間、視界が激しく歪み、頭の奥にズンとくる圧力が襲い掛かりました。

鏡の中から、無数の目がこちらを覗いていました。それらの視線は人間のものではなく、何か理解を超えた存在のものに思えました。恐怖で体が動かなくなり、そのまま鏡の中の世界に引きずり込まれそうでした。必死にもがきながら、なんとか目をそらし、その場から逃げ出しました。

無我夢中で外へと転がるように飛び出し、元来た道を戻ろうとしました。しかし、外の景色は再び変わっており、今度はさらに荒涼とした場所に立っていました。夜空には無数の星が輝き、月は不気味に赤く染まっていました。そこで、私はある確信を持ちました。ここはもう私の知る現実世界ではないと。

一歩踏み出すたびに、周囲の空間がねじれ、異形の影がちらつきます。耳元では、かすかな囁き声が聞こえ、それが私を呼んでいるように感じました。心臓の鼓動は激しくなり、息苦しさで意識が遠のきそうになりながらも、必死に走り続けました。

その状態がどれぐらい続いたのか、記憶が定かではありません。ただ、ふと気づくと、いつの間にか元の街に戻っていました。しかし、周りの雰囲気はどこかしら違っていました。人々は無表情に、その目は空っぽで、通りを足早に歩いていきました。建物は同じなのに、何かが歪んでいるような違和感が拭い去れませんでした。

この経験から逃れられたとは思えず、私は再びあの鏡の中の悪夢に引き戻されるのではないかという恐怖に捕らわれています。ある夜の出来事がきっかけで、現実の境界は曖昧になり、私はどちらの世界に属しているのかさえ分からなくなりました。

今でも、その異次元の経験が実体なのか幻影なのか、判断がつきません。ただひとつ確かに言えることは、その時感じた恐怖は、今も私の中に根を下ろし、静かに私の存在を浸食し続けているということです。それは理解を超えた恐怖――私が直面した、もう二度と目を逸らすことのできない現実なのです。

タイトルとURLをコピーしました