私はこの体験を忘れることができない。いや、忘れるべきではないのだと思う。これは単なる悪夢ではなく、現実に起こったことだからだ。
それは数年前のことだった。私は当時、地方の小さな町で暮らしていた。仕事は毎日単調で平穏そのものだったが、そんな日々に少し退屈を感じていた。ある日、親しい友人の誘いで隣町にある古い屋敷へ行くことになった。友人はその屋敷が有名な心霊スポットで、夜になると不気味な現象が起こると話していた。正直言って、私はオカルトなど信じていなかったが、その日は何か新しい刺激が欲しかったのだ。
車で1時間ほど走り、私たちはその屋敷に到着した。見た目は思っていたよりも荒れ果てていたが、まるで誰も住んでいないというわけでもなさそうだった。窓には汚れたカーテンがかかり、庭の雑草は腰の高さにまで伸びていた。友人と互いに笑いながら、「きっと大したことはないさ」と軽口を叩きつつ、中へと足を踏み入れた。
屋敷の中は薄暗く、どこか重苦しい空気が漂っていた。手持ちの懐中電灯の明かりを頼りに廊下を進むと、古びた家具や、壁に掛けられた家族写真が目に入った。写真の人々は皆、無表情でこちらを見つめている。思わず少し気味が悪くなり、友人に「ここはやっぱり気持ちが悪いな」と言ったが、彼は「ビビってるのか?」と笑うだけだった。
やがて、私たちは地下への階段を見つけた。階段は木製で、何段か下るたびにギシギシと不快な音を立てる。「何があるんだろう?」と友人が興味深々で先頭に立ち、私は少し不安を感じつつも彼の後に続いた。地下室は想像していたよりも広かった。古い家具や使われていない道具が無造作に積み上げられ、埃が舞っていた。だが、明らかにこの場所だけは異様だった。
室内の一角に、奇妙な模様が床に描かれているのを見つけた。まるで誰かがそこを中心に何かの儀式を行ったようだ。近づくと悪臭が漂い、私は思わず顔をしかめた。「これは何だ?」と友人がその模様を指さし、私もそれに目を向けた瞬間、突然背後から誰かの気配を感じた。
振り返ると、そこには見知らぬ男が立っていた。中年の白髪交じりで痩せ細った男だ。彼の眼は異様に輝き、口元には薄気味悪い笑みが浮かんでいた。「こんなところで何をしているんだ」と彼は低い声で呟いた。
私たちは驚き、言い訳をしようとしたが、男は私たちの言葉を遮った。「君たちは知らないんだろう?この屋敷が持つ秘密を。」彼の声は次第に狂気染みたものになっていく。彼はその場で何かの呪文を唱え始め、突然その場に倒れた。
その瞬間、屋敷内の空気が一変した。まるで何か見えない力に支配されているかのように、辺りは静寂に包まれた。友人と私はこれ以上ここにいては危険だと感じ、急いで出口へと向かった。だが、異常はそれだけでは終わらなかった。
階段を駆け上がり、出口へとたどり着いた瞬間、屋敷の内部に異常な照明が灯った。振り返ると、窓という窓から赤い光が漏れていた。それは血のような色をしていて、この世のものとは思えなかった。居ても立ってもいられず、私たちは車に乗り込み、その場から逃げ出した。
その後、友人と連絡を取ることはもうなかった。彼は何かに憑かれたように、私との縁を切ってしまった。あの屋敷で何が起こったのか、そして私たちは何を見たのか。未だに答えは出ていない。だが一つだけ言えることは、あの場所には何かしらの邪悪な力が存在していたということだ。
今となっては、あの屋敷はどうなったのかも知る由もない。ただ、あの出来事以来、私は寂れた場所や古い建物には近寄らないようにしている。あるいは、これは私が知り得なかった方が良かった真実への遭遇だったのかもしれない。そんな思いを胸に、静かに日常を送っている。だが、それでもあの赤い光景が脳裏に焼き付いて離れないのだ。あれを見た瞬間の恐怖、そして人間の狂気が生み出す現実は、私の心の底に永遠に刻まれている。