これは、つい数ヶ月前に私が実際に経験した出来事だ。普段、特別なことは起こらない日常を送っていた私だが、その出来事をきっかけに、私はSNSの影の部分を思い知らされることになった。
その日、仕事から帰宅し、いつものようにスマートフォンを手に取り、SNSのタイムラインを眺めていた。新しい投稿には興味深いものもあれば、その日の夕食を撮影しただけのものもあった。特に何も考えずにスクロールしていく中、ある日、見知らぬアカウントからフォローリクエストが届いた。そのアカウントはフォロワー数が少なく、投稿も数枚の風景写真だけ。特に気になることもなかったので、私はそのリクエストを承認した。
数日後、そのアカウントからダイレクトメッセージが送られてきた。メッセージの内容は、「あなたの投稿が好きでフォローしました」というありふれたものだった。それを読んで、私は単純に嬉しかった。だから特に警戒もせずに、「ありがとう」と返信した。それで会話は終わるだろうと思っていたが、相手はまたメッセージを送ってきた。
「あなたともっと話がしたい。」
その文章に少し違和感を覚えたものの、私は「こちらこそ」と軽く返事をした。会話はそれだけで終わるはずだった。しかし、それ以来、そのアカウントからは毎日のようにメッセージが届くようになった。それは徐々にエスカレートしていき、日常の出来事を尋ねられることが多くなった。
次第に私は、そのアカウントを避けるようになった。返信をしなかったり、既読をつけずにスルーする日々が増えた。しかし、メッセージは止まるどころか、益々頻繁になり、ついには私が「なぜ返信しないのか」と詰られるようになった。
ある夜、私は友人たちと食事をしていた。そのときも何度もスマートフォンが震えたが、楽しい時間を邪魔されたくなくて無視していた。帰宅後、溜まったメッセージを確認してみると、最後の一通にぞっとした。「今夜は楽しかった?」というメッセージだった。その瞬間、私は全身に寒気が走った。まるでその場にいたかのような言い方だったからだ。
その後、私はそのアカウントをブロックしようとしたが、ブロックできない状態になっていた。おそらく何らかの方法で私のアカウントに細工をしていたのだろう。その時ようやく、私はただ事ではないことに気付いた。
翌日、私は警察に相談に行った。しかし、彼らは私の話を真剣に聞いてくれないように感じた。「SNSでのトラブルはよくある」といった反応で、具体的な助けは得られなかった。このままでは自分の身が危険かもしれない、そう感じた私は、自らのSNSアカウントを消去することにした。
アカウントを削除したのに、それでも私はまだ監視されているような感覚から逃れられなかった。数日間、何の連絡も来なかったことで、安心し始めた矢先、何の前触れもなく、ポストに一通の手紙が投函されていた。差出人不明の手紙には、私の私生活の詳細が赤裸々に綴られていた。
この事態に恐怖を感じた私は、再度警察に相談することにした。今回は以前よりも慎重に話を聞いてもらうことができ、彼らは調査を約束してくれた。それでも不安な日々は続いた。家への道やショッピングモール、移動する電車内でも、見知らぬ誰かに視線を注がれているような、重苦しい感覚が常につきまとっていた。
恐怖のピークは、ある夜遅くに訪れた。外出から帰宅しようとドアノブに手をかけると、部屋の中から微かな物音が聞こえたのだ。おかしい、そう思い、ゆっくりとドアを開けると、リビングの明かりがついていた。確かに出かける前に消したはずだった。
心臓が激しく鼓動する中、恐る恐る部屋に足を踏み入れると、テーブルの上に一枚の写真が置かれていた。そこには、私が出かけた先で撮影された私の姿が映っていた。まぎれもなく、私を尾行していた証拠だった。
そのまま部屋を出て、近くの友人宅に駆け込んだ。友人は事情をすぐに察して、私をしばらくの間泊めてくれることになった。その夜は、ほとんど眠れなかったが、友人がそばにいてくれたおかげで、少しは心の安らぎを得ることができた。
後日、警察からの連絡で、ついに不審な人物が逮捕されたことを知った。犯人は私のSNSのフォロワーであり、何らかの手段で私の個人情報を不正に入手していた。警察の対処で直接的な危険は去ったものの、心の傷は簡単に癒えそうになかった。
今回の出来事を通じて、私はSNSの怖さを身をもって知った。現代社会における便利なツールでありながら、それがいとも簡単に恐怖の舞台になり得ることを。以来、私はプライバシーには細心の注意を払い、SNSの利用を大幅に制限するようになった。それでも、今なお、ふとした瞬間に不安がよみがえり、誰かに見られている気がすることがある。SNSを利用するときは、皆さんも十分注意してほしい。見知らぬ誰かが、あなたのことを密かに見ているかもしれないから。