これは数年前、私の故郷で実際に起きた出来事だ。ここで語っていいものか悩んだのだが、忘れようとしてもどうしても頭から離れない。もしかしたら、誰かが同じような体験をしているかもしれないと思って書くことにした。
私の故郷は、山間の小さな村で、人口はほんの数百人程度しかいない。昔からここでは、「神隠し」があるという噂が絶えなかった。特に村のはずれにある「陽明の森」は、その中心地とされていた。森に入ったら最後、道に迷い、姿を消したまま帰らない人がいるという。だが、私はそのことをただの迷信だと思っていた。いや、正確には思い込もうとしていたのかもしれない。
事件が起きた日、私は親友のタケルと一緒に森で遊んでいた。私たちは幼馴染で、小学生のころから暇さえあれば森で冒険を楽しんでいた。今回は少し奥まで行ってみようという話になり、それが間違いの始まりだった。
森の奥に進むにつれて、周囲はだんだんと静かになった。風が木々を揺らす音も聞こえず、鳥のさえずりも途切れてしまった。まるで世界から切り離されたような感覚に襲われ、急に不安になった。それに気づいたタケルも、「もう帰ろうか」と言い出したが、引き返す道がわからなくなっていた。
そのときだった、急に霧が立ち込めて辺りが白く覆われた。視界が遮られ、タケルの姿も見えなくなった。それでも必死に彼の名前を呼び続けた。しかし、返事は返ってこない。そのうち、霧が晴れたと思った瞬間、タケルは消えていた。慌てふためき、私はそのまま駆け出した。どれだけ走ったのか覚えていない。ただ、怖くて、何も考えられなかった。
村に戻って事の顛末を話したが、大人たちはあまり驚いている様子はなかった。彼らは森には「何か」がいると言い、それ以上は語ろうとしなかった。私はただ必死に、警察に連絡して捜索をお願いすることしかできなかった。
数日後、タケルはひょっこりと村に帰って来た。彼がいなくなってからちょうど7日目のことだった。皆が安堵する中で、なぜか私は奇妙な違和感を覚えた。彼の顔は、確かにタケルだったが、その眼差しには何かしらゾッとする暗い影が見て取れた。
時間が経つにつれ、彼の周囲でおかしなことが起き始めた。タケルは頻繁に居眠りをするようになり、まるで人形のように無表情でじっとしている時間が増えた。友人たちと遊んでいても、突然何もない場所を真剣に見つめ始めたり、唐突に「帰らなきゃ」と言い残して去って行くこともあった。
ある日、彼の家族がさらに奇妙なことを話してくれた。タケルは失踪後、家に戻ってから全く風呂に入っていないと言う。どんなに奨めても、何かに怯えるように拒否するらしい。シャワーの音を嫌い、代わりに無音の部屋からほとんど出てこないというのだ。
そしてある夜、私は夢を見た。霧の中に立っている私の前にタケルが現れた。そして彼は私にいくつもの声で、「もう時間だ」と囁いてきた。まるでたくさんの声が重なっているようだった。その直後、私は目を覚ましたが、汗が滝のように流れていた。
数ヶ月が過ぎたある日、タケルはまた突然と姿を消した。今度こそ二度と帰ってくることはなかった。彼の消失を最後に、村は再び静寂に包まれた。陽明の森に入る者は誰もいなくなり、それが村の不文律となった。
今もあの森を見るたびに、あの日のことが頭をよぎる。そして思うのだ。あれは本当にタケルだったのか?いや、彼が戻ってきた瞬間から、タケルである何かになっていたのではないかと。彼が見た「何か」によって持ち帰られたものは、果たして何だったのか。そして、その影響は私たちにまだ及んでいるのかもしれない。
この話を聞いて、あなたがどう思うかは自由だ。しかしどうか知ってほしい、現実はしばしば思っている以上に奇妙で恐ろしいものであることを。そして、どんなに身近な人であっても、変わってしまうことがあるということを。あなたの周りの人々も、もしかしたらすでに……。