忘れられた家に囚われた大学生たちの夜

閉鎖空間

夜が降りしきる山奥にひっそりと佇む一軒の古びた館があった。その館はいつしか人々から「忘れ去られた家」と呼ばれ、訪れる者もなく、すっかり時の流れに取り残されていた。だが、ある嵐の夜、その忘れられた場所に一組の大学生たちが足を踏み入れることになった。

「ねえ、ここが噂の幽霊屋敷なんだって」

好奇心旺盛なリーダーの健は、仲間たちを振り返りながらそう言った。彼らは旅行の途中で遭難し、途方に暮れている中、この館を見つけたのだった。雨風を凌ぐ場所をようやく見つけ、全員が安堵した様子を見せながら、館の古びた扉を押し開けた。

内部は思ったよりも広く、しかし長い間手入れがされていないためか、どこか霊気を漂わせているように感じられる。高い天井にぶら下がるシャンデリアは埃を被り、壁紙は染みと剥がれで斑模様を描いていた。健たちはどことなく不気味に感じながらも、疲れた体を休めるべく、一つの部屋に集まることにした。

「すごい場所に来ちまったな……」

仲間の一人、祐介が薄暗い部屋の隅に腰を下ろしつつ呟いた。他の者たちもそれぞれ疲れた表情を浮かべながらバッグを下ろし、狭い範囲に集まる。

「まあ、雨宿りだし、朝になれば出ていけるさ」

そう言って健は笑って見せたが、心の奥では得体の知れない不安が揺らめいていることを感じていた。誰かが持ち込んだ懐中電灯が部屋を明るく照らし出し、彼らはそれぞれの寝床を作り始めた。

そのうち、疲れ切った一同は気づけば深い眠りに落ちていったが、時折吹きすさぶ風音と外の木々のざわめきが、遠くひっそりと耳に触れた。

眠りの中で、健は夢を見た。その夢は不意に始まり、しかし明確な形を持たない。何かが彼を呼んでいる。何かが彼を引き寄せようとしている。闇の中から誰かの囁く声が聞こえ、健はそれに応じようと手を伸ばした。

数時間後、健はふと目を覚ました。何かが違う。辺りを見回しても誰も目を覚ます様子はない。彼は静かに起き上がり、廊下へと歩みを進めた。古びた木の床が歩くたびに不気味に軋み、まるで館そのものが彼を追い出そうとしているかのようだった。

館内はどこも閑散として静かだった。しかし、なぜかその静けさが彼に極限の不安をもたらしていた。ある部屋の前で立ち止まると、その扉がわずかに開いているのが見えた。好奇心が恐怖を上回り、彼はその中へと一歩を踏み出す。

部屋には大きな鏡があり、そこだけは不思議と埃一つない。鏡には彼自身の姿が映し出されているが、それはまるで異界の扉を通じて見ているような感覚を彼に与えた。健は鏡に向かって手を伸ばした。

その瞬間、鏡の中の自分が突然声を発した。

「お前はここから逃れられない」

声が響くと同時に、彼の意識に覚えのない記憶が流れ込む。それはまるで過去、その館で実際に起きた出来事の断片を見せつけられているようだった。恐怖に駆られた健は、自分を取り戻そうとするが足がすくんで動けない。

「皆に知らせなければ……」

彼は震えながらも部屋を飛び出した。廊下を走り抜け、仲間たちが眠る部屋に辿り着くと、彼は息を切らせながら皆を起こした。

「ここは、ここはおかしい。出よう、今すぐここを出よう!」

しかし、他の者たちは驚きながらも半信半疑だった。幾人かは笑って彼をなだめたが、健の必死の形相に気圧されたのか、次第にその顔色を変え始めた。皆は早口に囁き合いながら、供に荷物をまとめることとなった。

だが、彼らが館を出ようと玄関に向かうと、扉はなぜか開かない。健が何度も何度も扉を叩き、ノブを回すが、動かない。まるで誰かに外から押さえられているかのようだ。

「おい、どういうことだよ!」

祐介が叫び、やがてパニックに陥った。仲間たちは次々に他の出口を試みたが、全ての窓も扉も閉鎖されていた。外に出たいという思いが強くなればなるほど、館はそれに対抗するがごとく不気味なうなりを上げた。

その時だった。背後で小さな音が聞こえた。全員が声の方を振り向いた。そこには、古びた絨毯の上を這う小さな影があった。それがなんなのかを見極める暇もなく、影は突然大きく膨らみ、壁際へと消えていく。そして、再び静寂が支配する。

「もう時間がない、逃げなきゃ」

健は焦燥感に駆られつつ廊下を駆け出した。皆がそれに続く。だが、追いかけようとする度に、何かしら足元を掴む何かが確かに存在している感覚がした。それはまるで館そのものが生きていて、彼らを内に留めようとしているかのようだった。

幾人かは必死で館の奥へ向かうが、どこも出口に続いている気配はない。そこへ、突然頭上から冷たい風が吹きつけ、声が響いた。

「逃げられない……我らと共に……」

その声に恐怖が最大限まで増幅され、健たちは生きた心地のないまま館の奥へと闇雲に駆けた。やがて、一人、また一人と引き離されてゆく。

気がつけば、健は広間にたどり着いていた。中央には大きな暖炉があり、そこには古い肖像画が飾られている。画中の人物は、かつてこの館に住んでいた主人だろうか。無表情なその瞳が健を見下ろしている。

息を整えてもう一歩引けば、何かに躓き派手に転んだ。その姿を見下ろす肖像画から、ふと低い笑い声が漏れる。

「諦めろ……この館の一部となるのだ」

その声と共に、館は再び冷たい風を巻き起こし、健の意識を奪い去ろうとした。目を閉じた瞬間、またも過去の断片が彼を飲み込む。そこにはかつて幸福だった家族の肖像があり、やがて不幸な事故が彼らを引き裂いていく様があった。

「この館は、忘れられた者たちの叫びを、永遠に響かせる」

一瞬にしてそれらを悟った健は、再び駆け出した。だが、いつの間にか仲間たちの姿はなく、彼はただ一人館の中を彷徨い続けた。何度同じ場所を踏み入れても、そこに見るものは変わらない。過去の亡霊たちに囚われ、彼は閉じ込められたままだ。

やがて彼は脱力し、ふと館の中央に跪いた。疲労と恐怖が一体となり、その身を引き裂かれるような思いだった。しかし、彼は心の中で一つの決心を固めた。

「決して、忘れられる者となるものか……」

彼のその言葉は、まるで館の壁に吸い込まれるように消えた。しかし、健は決して諦めない。館の中に閉じ込められたまま、彼は仲間たちの名を叫び続けた。そして、それに応える声がどこか遠くから返ってきた気がした。

果たしてそれが本物の声なのか、悪夢の続きなのかはわからなかった。だが、彼の心には未だ希望の炎がくすぶっていた。いつの日か、この暗い部屋から解放されることを信じて。

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