我が身にて 起こりし事を語らんとす 時は昨年の秋 葉も黄なり 夕べの星現れし頃 我が友と共に酒を酌み交わし その地を訪れしなり 人知れぬ村落 久遠の時にて忘れられし地にいたり 二人たる我ら 息災を祈りし心にてかの場所に踏み入りて
時の経つも忘れ 語りし声の響きに夢想するも ひとしきりして風に揺るる葉音のなか ふと気付きたることありき 月明かり僅かに射し込む森の中 何者かの影 蠢きて 音もなく 我が共の一人 石段を登り降りする姿なり されどその影は定かならず 心惑わせる光景なり
遠くより聞こゆる 不定の囁き 風の音かと思えど 人の声の如く 低く怪しき響きにて耳に入る 恐れ戦く心を抑え 何故かその声求め歩みたり 友は背むけたれど 影の如き声音に誘われて 我独り進み行く
幽暗の樹木の並ぶ道にて 一歩一歩と足を踏み出す度 その声高まりて 静けさの中に響き渡る それは呪文か 或いは祈りの言葉か 解き難く ただ畏れに満ちたる声と聞こゆるのみ
やがて辿り着きし場所には 朽ち果てたる祠一つ その入口に座す影あり 顔隠さるる様にて 頭低めたるその姿は 生ける者に非ざる者がごとし 震う手にて近寄りしを 不意に風強まり 影の姿消えぬ
祠の傍に座し見るに 石版一つ その面には意味知れぬ文字の掘られしあり その形は如何にも古び 言の葉の凍る心地にて まじないの如し呪文を刻みたる如く
その夜以降 不思議なること多く起こりぬ 何故か心騒ぐ日々続きたり 窓開け放ちし夜には また囁きの声聞こゆる如く 静けさの中に響き渡る それは祟りか 或いは神の声か 叶わぬ問いと知りつつも 人の心撫で回す影はいまだ付き纏い
語りて後もその声は耳に残るにて その話をもて人に告ぐるに 信じる者少なく 我が身にて受けたる恐れ 世人に分かつることなきが悔しく思えど あの祠と彼の呪文の正体 未だ謎解けぬ
日々続きしは言葉の途切れる夢 希う心の中には様々なゆえ 声とともに影もなき影 追うこと能わぬもただ座し待つばかり
一夜の体験にて 日常とは別の次元目前と感じぬるも 我が嘆きはこの言の葉に残さんとす 今はただ 我が心安からぬその訳を 紡ぎし言葉にて伝え 些かの重荷を共に分かち合う者あらばと