タイトルは不要ということなので、本文のみをお届けします。
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僕がこの話をするのも、まるで霧の中を進むような不確実さに満ちた行為に思える。だが、誰かに話さなければ、この恐怖はいつまでも僕自身を縛り続けるだろう。まず最初に謝っておく、これはありふれた怪談かもしれない。しかし、僕にとっては現実だ。ありふれたものなどひとつもない。
僕の名はS。年齢や住んでいる場所はどうでもいいだろう。君たちが知るべきは、僕が今何を経験しているかだ。すべてはある深夜の出来事から始まった。
その夜、僕は古びたパソコンの前に座っていた。無数のタブが開かれたブラウザが、蒼白い光を僕の顔に投げかける。日中にうけた苛立たしさをぶつけるように、何かを成し遂げた感覚を求めて深夜のネットサーフィンに没頭していたのだ。匿名掲示板を巡り、不気味な話題について議論する無数のスレッドを通過していった。
その時、ふと「夜の庭」というスレッドが目に留まった。平凡な名前だが、奇妙な直感が僕にそのスレをクリックさせた。スレッドの最初の投稿はこうだった。
「この庭を見つけた人、いますか?あなたの近くにも必ずあるはずです。」
何かが僕の奥底で反応した。庭だと?僕は好奇心からページをスクロールする。投稿者たちは次々に自分の体験を綴っていた。内容は同じパターンだった。ある場所に行くと、そこには見慣れない庭が現れる、という話だ。そこには誰もいないが、ただ、ものすごく悪寒を感じるのだという。
夜が更け、いつしか雨音が耳を打ち始めた。眠気を感じた僕は、スレッドを後にしてベッドに横たわった。しかし、眠りは容易に訪れなかった。心の中に庭のイメージが埋め込まれ、抜き取れないまま、延々と反芻されていた。
次の日も、僕は日常を過ごしながらも庭のことを考えていた。スレッドではどこにも存在するはずのない場所が、どのように個々の体験を通じて現れるか、いくつもの仮説が乱立していた。しかしある深夜、またもやそのスレッドに引き寄せられるようにアクセスすると、僕の心臓は次の投稿で凍りついた。
「あなたの庭はすぐ側にあります。見つけ方を教えます。」
この投稿は偽物のようにも思えた。だが、何故か僕はそのリンクをクリックしてしまった。画面に広がるのは、白黒反転した文字の羅列。読もうとすると、目が自然に痛む。慌ててブラウザを閉じたが、その時、自宅の窓がカタカタと鳴った。手汗がじっとりとキーボードに染み込み、恐怖に駆られて椅子を後ろに転がした。
しばらく頭を振って感覚を取り戻した僕は、庭のことを忘れようと決めた。だけど、思いは止まらない。その夜、夢見心地の中で僕は庭に立っていた。昼間のように明るかったが、影がどこにもなかった。ただの静かな、けれどまるで現実のように生々しい庭だった。
夢の中では、自分がどこにいるのか、なぜそこにいるのか知る術はなかった。心の中に蓄えられた雑念がすべて一斉に表面化し、僕を縛りつける。目を覚ますと、心臓がまだドクドクと鳴っており、体中が冷え切っていた。きつい季節の夜風が、微かな開口部から断続的に入り込んできていた。
次の日、ネットでの閲覧を避けながら、ささやかな日常を過ごしていた。しかし、どこか心にこびりつく恐怖が、穏やかなひとときにも影を落とした。通りを歩く僕も、路肩に広がる植え込みにも、不意に庭のイメージを重ねる自分に気づくたび、正気を失っていた。
そして、その夜、意識しないままにまたもやネット上のスレッドに戻った。もはや避ける選択は存在しなかったのかもしれない。その時、スレッドの中に──「お帰りなさい、庭があなたを待っています」と打ち込まれた投稿が、新たに表示されていた。
怖気が走ったが、僕は興味を抑えきれず、「詳細を教えてください」と呟くように書き込んでしまった。数分後、「創造により具現化する、あなたの選択で」という応答が返ってきた。どうしても理解できず、繰り返しその言葉を読み返す。具現化?どんな意味があるのだろうか?
恐怖と混乱の狭間にいる中、またも窓が揺れた。振り返ると、暗闇が僕を見つめているように感じた。「何かいるのか?」と声に出すが、もちろん返事はない。ただの静寂。それとも、ただの夢か?
翌週、僕は結局、意識的にそのスレッドから遠ざかることができなくなっていた。そのたびに脅威とも皮肉ともとれぬ言葉たちに、胸がざわつく。しばらくすると、僕は戸棚の奥から古い鍵を見つけた。どこかで見覚えがあるようだが、思い出すことはできない。
ある夜、思い切って鍵を持って、あてどもなく外に出た。手がかりをつなぐピースとして、何に引き寄せられるのかわからなかった。月明かりに照らされた道を進むと、まるで幽霊が不意に手を取ったかのような感覚が訪れた。どこに行くわけでもないのに。
気が付くと、僕は暗闇の中に佇んでいた。見回すとそこには──正しく、その庭が待っていた。なぜ自分がここにいるのか、自分が無力であることを痛感する。それでも一歩ずつ前進し、一人庭を歩き回る。足音すら響かない。すべてが現実なのか、あるいは悪夢なのかもわからなかった。
耳元で、答えもないままささやく「帰りなさい」という無音。そして僕は気づいた。自分の恐怖が、この庭を生み出したのだ。掲示板で見たその庭が、多くの人々の恐怖と好奇心の産物であるとなぜか確信した。選択した結果、僕は今ここにいる。
今、この庭にいる僕は、再び訪れる恐ろしいエネルギーに直面し、必死に無音の叫びを上げる。一番大事なことは、誰にでもこの経験を共有することができるという事実。そしてそれがなければ、この恐怖は増幅するばかりだ。
書き込みを止めるつもりだったが、もうやめられない。私たちは全員、この庭を知っている。夜に眠りにつく前に、ふと考えてみてほしい。あなたの近くにもその庭があるのだと。この物語を、僕だけが持っているわけではない。
すべてが消え去るのを待ちながら、僕は今でもこれを書き込む。恐怖からの逃避──あるいは共感を求める——掲示板の一角で、共にこの経験をした仲間たちと繋がるための橋だ。