黄昏の村と呪われた案山子の伝承

呪い

夜空には、月の光が薄く広がっていた。まるで絹のように淡く、辺りの山々を幽かに照らし出していた。その夜、私が訪れたのは、人里離れた山奥の小さな村であった。この村には、昔から「黄昏の村」と呼ばれる不吉な噂が絶えなかった。それらの噂は、案山子にまつわる呪わしい伝承に根ざしていると言われていた。

村に入ったその瞬間から、私は空気の異様な冷たさを感じ取った。高く聳える木々の影が、まるで何かを隠すかのように地面に縞模様を描いている。家々の窓には薄汚れたカーテンがかかっており、人の気配はまるでなく、村全体が静まり返っていた。

私がこの村を訪れたのは、古い因縁を解き明かすためだった。かつて、私の祖父がこの地を訪れ、何らかの「贖い」を試みたが、失敗に終わったという話を聞かされていた。祖父の人生は、その訪問以来狂い始め、ついに正気を失って亡くなった。彼の日記には、この村で出会った「恐ろしいもの」と、それにより呪われたことが書かれていた。

村の中央に位置する広場にたどり着いたとき、私はそこで一際異様な光景を目の当たりにした。そこには一体の案山子が立っていた。赤茶けた布できた体に、藁が詰め込まれており、その両目は黒い石で象られていた。案山子の佇まいには何か異常なものがあり、私は思わず目を逸らした。しかし、その目を離した隙に、その案山子がわずかに動いたように感じた。気のせいだと自分に言い聞かせながらも、不安は増すばかりだった。

私は村に滞在するために、唯一の宿と思われる古びた家に向かった。中に入ると、古風な家具と、壁に掛けられた無数の家族写真が目に飛び込んできた。それらの写真の人々は、どれも無表情で、どこかうつろな眼差しをしている。宿の主である老婆が、私を見て穏やかに微笑んだが、その笑みもどこか作り物めいていた。

宿の窓からは、例の案山子が広場に佇む様子が見えた。夜が深まるにつれ、その姿は何故か身体の芯まで冷えるような、異様な圧力を感じさせた。寝床に入ったが、なかなか眠れぬ夜となった。月光がカーテンの隙間をすり抜け、部屋の中で奇妙な影を作り出していた。

やがて、遠くからかすかな足音が響いてきた。それは夜の闇を切り裂くように規則正しく近づいてくる。私は心臓の鼓動が速くなるのを感じた。急いで窓の外を見ると、案山子が私の方をじっと見つめている。その瞬間、遠い記憶が蘇ってきた。

それは幼い頃に祖父と過ごしたひと時の記憶。彼が呟いた言葉、「あの案山子の目を見てはいけない」という戒めが脳裏に浮かんだ。気が付けば、私はその目を正面から捉えてしまっていた。あの黒い石の瞳は、不気味なまでに生を持つようで、まるで私の内面を見透かしているかのようだった。

翌朝、宿を出た私は、村の周辺を散策することにした。案山子の呪いの真相を解き明かし、祖父の無念を晴らしたいという思いが胸に渦巻いていた。村の裏手にある小さな祠には、何か重要な手掛かりがあるかもしれないと思い、私はその場所を目指した。

祠は、苔生した岩の陰にひっそりと隠れていた。その中には古い巻物が納められており、そこには村に伝わる悲劇が語られていた。昔、この村では、外部の侵略者から村人を守るため、若い女性が生贄として案山子に姿を変えられたのだという。そして、その怨念が今も解き放たれずに村を呪縛していると記されていた。

私は巻物を手に取り、その呪いを断ち切る方法を探そうとした。だが、深まる理解と共に、背筋が凍るような事実に気付かされた。それは祖父がこの村で犯した罪。それは、呪いを断ち切るために選ばれた生贄でありながら逃げ出した一族、それにまつわる因縁が私に受け継がれているという現実であった。

村を救うためには、私自身がその贖いをしなければならない。やがて夜が訪れ、私は運命を受け入れるため、祠の前に立った。案山子の視線が、どこまでも追いかけてくるように感じられる。それは、救済を求める者の叫びのようでもあり、私を導く光のようでもあった。

月が再び空に昇り、風が私の周りを渦巻いた。その時、私は覚悟を決めた。祖父が果たせなかった使命を、今度は私が果たすのだと。その夜、広場には再び静寂が訪れ、案山子の姿は影を潜めた。しかし、その呪縛から村は解放されたに違いない。私はこの地に永遠の静寂を与えるために、祖父が残した未完の物語を終わらせたのだ。

翌朝、村には久しぶりに太陽が差し込み、冷たかった空気は暖かな風に変わっていた。遠くから村人たちが私を見つめる。その姿は穏やかで、何かが解放されたような安堵の表情を携えていた。彼らは言葉を交わさなかったが、その微笑みには感謝の意が込められているように感じられた。その日、私はこの村を後にしたが、心には不思議な充足感が広がっていた。

村に残された案山子は空っぽなまま、もう決して動くことはないだろう。だが、その眼差しの向こうに待ち受けているもの、私たちを捉えようとしているものの存在を、私は今でも忘れることはできない。呪いは断ち切られたとしても、その影は私の心に永遠に刻まれたままである。

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