麦わらの少年の警告

違和感

僕があの田舎町に引っ越したのは、確か夏の終わり頃だったと思う。ちょうど大学を卒業して、新しい職場に就職が決まったためだ。都会の喧騒から離れて、静かな環境で心機一転やり直そうと思ったのだが、まさかそんな経験をするとは夢にも思っていなかった。

その町は、駅から30分ほど車で進んだ所にあり、周りには広大な田畑が広がっていた。家々はどれも古く、通りにはほとんど人影がない。最初は静かでいい場所だと思ったが、何となく空気が何かをひっそりと隠しているような、そんな感じがした。

最初の頃は、仕事も忙しく、近所の人ともほとんど交流がないまま毎日が過ぎていった。でも、ある日曜の午後、ふと外に出てみると、道路の向こうに一人の少年が立っていた。彼は大きな麦わら帽子を被っており、何をするでもなく、ただじっとこちらを見つめていた。

僕は軽い挨拶をしたが、彼は返事をせずに、ただニコニコと笑っていた。不思議に思ったが、特に気にすることもなく、その日はそのまま家に戻った。しかし、それ以降、あの少年を町の至る所で見かけるようになった。

カフェの窓越し、スーパーの通路、そして夜遅くに散歩しているときも。いつも同じ麦わら帽子姿で、笑顔のまま僕を見つめている。けれど、彼が僕に話しかけてくることは一度もなかった。

最初は偶然だと思っていたが、だんだんとそれが単なる偶然ではないと感じるようになった。なぜなら、町のどこに行っても彼がそこにいるからだ。それが例え、人がほとんど通らないような細い路地だったとしても。そして、その視線は何かを訴えかけているようで、次第にそれが重く感じ始めた。

ある夜、僕は彼のことを夢に見た。夢の中で、彼は僕の部屋の窓から中を覗き込んでいた。僕が何かを言おうとすると、窓ガラス越しに何かを指差していた。僕はその指の先を目で追ったが、何も見つけることはできなかった。ただ、目が覚めた後も、その指差しの光景が頭から離れなかった。

次の日、どうしてもその少年のことが気になり、町の人に彼のことを聞いてみることにした。近くの商店で買い物をしながら、店主にその少年を知っているか尋ねてみた。すると、店主は不思議そうに首をかしげ、「そんな子は知らないなぁ」と言った。そして、別の人にも聞いてみたが、返ってくる答えは同じだった。

徐々に、それが普通の「知らない」とは少し違うと感じた。そういった情報のすべてが、頭のどこかでねじ曲がっているかのように、ぼやけてしまっている感覚。まるで、何か大切なことをわざと見落としているような、もやもやとした感覚だった。

それからというもの、その少年を目にするたびに僕の胸は重くなった。何か大事なことを忘れてしまっているような、そんな気がして仕方がなかった。

ある風の強い晩、外からバタンと音がした。疲れていたので最初は無視したが、その音は再び鳴り、まるで誰かが窓を叩いているように聞こえた。仕方なく重い腰を上げ、窓に向かう。カーテンを少しずらして外を見ると、そこにはまたあの少年が立っていた。

彼は相変わらずの笑顔で、けれど、その目だけは悲しそうだった。僕が勇気を出して窓を開け、「何か用か?」と声を掛けると、彼は初めて口を開き、「早く逃げて」とだけ言った。

その言葉がどういう意味か理解する前に、僕の背後で悲鳴が上がった。振り返るも、部屋には誰もいない。「幻聴か?」と思ったが、空気が重く冷たく感じられ、一段と何かがおかしいと直感するには十分だった。

翌日、町の人々に何か異常がないか確認しに行ったが、みな、至って普通の返答だった。が、それがまた異常に思える。まるで彼ら全体が何かに巻き込まれているようで、真実を知ってはいけないという圧力すら感じるようだった。

それから僕は、その町を出ることに決めた。準備を終えた夜、最後に家を振り返ると、今度は少年の姿はなかった。しかし、不安は完全には消え去らなかった。何が“おかしい”のか、未だにはっきりと分かることはないが、あのにこやかな笑顔は、今も鮮明に蘇る。

田舎町のその場所から僕は出たにも関わらず、時々ふとした瞬間に彼の視線を感じることがある。日常の中でほんの一瞬、背後に気配を感じる。でも振り返っても誰もいない。

この経験を話してしまったら、誰かにあの場所に引き戻されそうで、この体験はずっと僕の中に秘めたままだ。今はただ、何もなく過ごせるその日まで、気を抜かずに穏やかに生活を送ることができれば良いのだが。

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