霧乃里の禁忌祭儀

風習

青々と生い茂る山々に囲まれた谷底に、一つの小さな村が存在した。そこには訪れる者も少なく、外界からは隔絶された静寂が漂っていた。村の名は「霧乃里」、その名の通り、朝もやに包まれた幻想的な風景が広がっていた。

私がその村を訪れたのは、ある民俗学の研究の一環だった。風習や伝統に深い興味を抱いている私は、大学でのフィールドワークの一環としてこの村に魅入られたのである。しかし、その扉を開けるや否や、これまでに感じたことのない異様な空気が漂うことに気付かされる。

木造の門をくぐり抜けると、住民たちの冷ややかな視線が私を迎えた。彼らの眼差しには、何かしらの警戒心と、そして隠しきれない秘密めいたものが垣間見えた。村は古い造りの家々が立ち並び、どこか時間が止まったかのような感覚に陥る。

初日の夜、私を民宿として使わせてもらうことになった家の家主である老人が、祭の話を持ちかけてきた。「明日から“霧隠れの祭”じゃ。ひと月に一度、村の安全を祈るための大切な行事じゃけん、ぜひ見ていきんさい。」と。

その祭の詳細について説明を求めると、老人は光のない目に奇妙な笑みを浮かべ、「見ればわかる。あんたもその目で確かめんさるがよい。」とそれ以上は何も話そうとしなかった。

翌日、私は朝早くに小さな広場に集まった村人たちを見た。彼らは一様に白装束をまとい、顔を深く隠すようにフードを被り、「霧の音色」と称するペンダントを首に掛けていた。村人たちは、その音色の響く方へと足並みを揃えていく。

彼らに続いて村の神社へと向かう途中、私は村の周囲に立ちこめる不吉な気配に心を囚われていた。鳥の鳴き声も聞こえない。まるで世界が息をひそめ、何かを待ち構えているようだった。

神社の境内では、村人たちが輪になって静かに座り始めた。中央に立つ祠には、無数の小さな鈴が飾られており、風が舞うたびにかすかな音を立てる。時折の風がふいにその鈴を鳴らすと、一斉に村人たちは深い祈りを捧げる声を発した。奇妙な抑揚を含むその祈りの声は、異世界の言語のように私の心を震わせた。

祈りが進むにつれて、霧はますます濃くなり、視界はほとんど失われた。やがて祈りの最高潮で、村人たちは一人ずつ、鈴を鳴らしては霧の中に消えていく。それはまるで、何か神秘的な儀式が完結したかのようであった。

私は、その場に残された一人として、立ち尽くしていた。その時、突然背後に冷たい気配を感じ振り返ると、一人の若い女性が立っていた。彼女は私をじっと見据え、声なく口を動かした。「…早く、去りなさい。霧が晴れる前に。」

しかしその警告もむなしく、何かに導かれるようにして神社の奥へと足が向いてしまう。次の瞬間、私はその場所で人の骨と思われるものに足を止めた。驚愕と共に足の震えが止まらなくなった。その時、私の背後から鈴の音が一際大きく鳴り響き、その音はまるで私を次の獲物として歓迎するかのようだった。

混乱の中、必死に村の出口を探し出し、駆け出した。濃霧の中を走り抜けた先にはようやく開けた道が見えた。それと同時に、かつて村人たちが持っていた視線の意味が少しずつ明らかになり始めた。彼らはこの村に新たな生贄を捧げるため、私をここに招き入れたのではないか。

そして、ついに追いついた夜明けの光に導かれて村を出たとき、背後で一斉に鈴の音が鳴り止んだ。それは村が新たな儀式の完了を告げる合図のようだった。涙があふれるのを堪えながら振り返ったその時、私の心には、二度と訪れることのない決意が固まっていたのだった。

村の外に出た後も、霧が異様に立ち込めるその光景を思い出すたびに、私は自らの生の儚さを痛感する。そして知る由もなかった、あの村に今なお隠され続ける秘密の重さを。もしまた霧に包まれた古い風習の話をすることがあれば、私はただ一つの忠告を残すだろう。「その音色に耳を貸すな。その音が新たな命を喰らう音と知るべきではない。」と。

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