彼の者の名、逢坂と呼びける者がありき。ある日、彼は山奥の社にて、古の神を祀りたる祭に行きける。祭の夜、奇妙なること起こりけり。友と共に笑いの声絶えぬ山道を進みけるが、忽然と彼の影、かき消えたり。
友は怪しみつつも、彼を探せどもその姿、かの道に現れず。村人らも寄り集まり、夜も日も分たぬ探し求めたり。然れど、その者、現れざりけり。只一人、年深き神主のみがもの知り顔に村人に告げたり。
「此処にては、時折、異界の者ども、人を誘いお連れ申すことあり。逢坂殿も、或いは彼方に遊びに行かれたやもしれぬ。」
企てし村人ら、彼の言を聴きて恐れ伏せり。しかしその後、幾度か年経た彼の夜、逢坂の影再び村を訪れたり。人々は驚き、彼に駆け寄り、何処に行きしやと問うたるに、その面持ち、かつての逢坂なるも、その瞳に見ゆるもの、まことに異なりしものなりけり。
「彼方にて、汝らが想いもし得ぬ奇なる景色を見たり。あまた奇声と共に、森羅万象、かの地に揺れたり。我、光を見、影を追い、風に消ゆる声に耳を澄ませり。」かく語りけれど、その言葉、誰一人として理解の及ばざりき。
村の者ども、彼の言行の不気味さを訝るも、かつての友は戻り来たりとて喜び迎えたり。しかし、彼の貌に漂う不穏さ、如何なる事態を示しけん。日々の世の中に戻りつつも、逢坂、時折異形なる呻き声、神社から洩れ入るがごとき囁きを耳にし、また冷風たる気配を背後に感ずる事、幾度かありけり。
次第に、彼は人前に出ることを避けること増し、村人らもまた、彼に近寄ることを恐れ避けける。逢坂が住まう家、その窓の闇より、夜毎に怪しげなる響き、村中に漏れ響くことあり。凍てる風、彼の移り住みたる家を巡り、古き神々しからぬ影、揺蕩うこと増しぬ。
村に住まう者ども、訪れし彼の姿、あたかも古い影戻り来たりて、新たなる異形を宿したる者とみなしけり。そして彼、再び姿消えたる、あまたの月経ぬる後にてありき。伝え聞くところによれば、最後に村人が彼を見しは、新たなる祭の夜、社の神座にて、夜陰に紛れて彼の姿消えたりしと。
村の人々、再び彼の名を口にすることなく、彼の家もまた土に還りけり。ただ、祭の夜に村人はその神座に傾けぬ視線を寄せ、連れ去られし者の思いを馳せるほどにありぬ。何処に行きたるか、誰一人、知る由も無く、また知りたしという者も無かりけり。村に伝わる話、ただ謎めきたる言葉を紡ぎしのみなり。
「彼方にて、虚ろなる声、闇より来たりて魂を誘う也。己れと面向き合ふを望まずば、此の地にての安きを保てるべし。」古き詠に、村人異界の影、薄気味悪しとし、深く胸底に封じたり。斯くて村の時、灼く久しとして未知なる恐れにさらさること無かりけるが、逢坂こそ帰らぬ、その夜まで、村の鐘、静かに鳴りしこと有りし。