森の奥深く、鬱蒼とした木々に包まれた場所に、一つの廃寺が佇んでいた。時代に取り残されたその寺は、苔むした瓦屋根と崩れ落ちた木々が積み重なり、人々の記憶から遠ざかってしまった。誰からも忘れ去られたこの場所には、近づいてはならないという村の古い伝承があった。その古びた伝説を知る者は、声を潜めて語り継いだ。そして、いつしかそれは禁忌となり、口にすることさえ忌むべきものとされた。
ある鮮やかな秋の夕暮れ、青年の拓也は、その寺を目指して森の中へ踏み込んだ。彼は人里から離れたこの地に伝わる不思議な噂に魅了されていた。心霊現象や怪異の記事を数多く手掛ける彼の好奇心を沸かせるには、伝承のうちのほんの一片で十分だった。「触れてはならない聖域」——その言葉が、恐れと同時に彼の冒険心を強烈に刺激したのだった。
寺に続く道はすでに自然に飲み込まれていた。しかし、拓也の目にはその痕跡が確かに見て取れた。彼は足元を確かめつつ、注意深く進んでいった。辺りは次第に薄暗くなり、木の葉のざわめきが耳に響く。心に微かな不安が生じ、彼は振り返った。だが、そこには訪れた者を阻むような影もなく、ただ静寂が漂うばかりだった。
寺に着いたとき、拓也の目に映ったのは、時間に刻まれた傷跡が彩る美しい荒廃だった。ひび割れた石階段を踏みしめると、その足音は森の中に溶け込んで響かない。不吉な静けさが広がる中、彼は本堂へと向かった。開け放たれた扉から風が吹き込み、古びた布がひらりと揺れたその瞬間、彼は何かに見られているような錯覚を覚えた。
本堂の中にはかつての信仰の痕跡が色褪せて散らばっていた。仏像はまるで無垢な恐れを湛えた目で、人々の喧騒を受け止めているかのように感じられた。その視線にしばし捉われた後、拓也は寺の奥へと進んでいった。——奥の間、そこには秘密が潜んでいると古文書には記されていたのだ。
奥の間には、奇妙な冷気が漂っていた。それはまるで、過去の出来事が今なおこの空間に絡みついているかのようだった。彼はその空気を切り裂くように歩みを進め、小さな祠を見つけた。そして、その中にあったのは、一冊の古びた巻物である。厚い埃を払いのけ、彼はその内容に目を走らせる。
突然、灯りがぐらついたように空間が歪む。それは幻覚ではなく、この世の理から外れた異様な現象だった。拓也は咄嗟に天を仰いだ。そこには、歪んだ影が視界の片隅をよぎり、鳥肌が立った。この場所が持つ異常性が彼を瞬時に包囲する。彼は恐怖と好奇心の狭間で揺れる心を感じつつ、足早にその場を離れることを決意した。
しかし、彼の後を追うように不気味な音が響き渡り、その音の源を探ろうと振り返った瞬間、空間は再び狂ったように歪んだ。どこからともなく、かつてここに住まった者たちの憎念が、鈍い音と共に這い寄ってくるかのようだった。拓也は冷や汗を流し、全身の感覚が凍りつくのを感じた。
この場所には、かつて追放された者たちの魂が宿っているのか。その疑念が彼の心を苛む。言い伝えによれば、かつてこの寺では禁忌に触れた者たちが封じられ、その魂が今もなお彷徨い続けているという。その思いを断ち切るように、彼は力強く足を踏み出し、来た道を戻り始めた。
森の端で振り返ると、寺は再び静寂に沈み込み、何事もなかったかのように立ち尽くしていた。拓也は肩を落とし、息を整えた。彼にとって、この経験は不可解な神秘であり、同時に禁忌を犯した者としての烙印が押された瞬間でもあった。
それ以来、拓也は二度とあの寺を訪れることはなかった。だが、彼の心の奥底には、あの廃寺に潜む妖しい気配が未だに残り続けていた。触れてはならない聖域——その言葉の重みは、彼の中で薄れることなく留まり続けたのである。
そして今も、その廃寺は深い森の中で静かに時を刻んでいる。誰ひとりとして、あの場所の秘密を暴こうとはしない。古びた伝承の霧が晴れることはなく、村の人々は今もなお、その存在を黙殺している。その禁忌の淵で、森はまた次の訪問者を待ち構えているのだろう。触れてはならない、開かれた扉の向こうで。