禁忌の古泉神社: 忘れ得ぬ夜の恐怖

霊場

夏の終わりが近づく頃、都心から少し離れた山あいの集落に、ひんやりとした夜風が忍び込み始めていた。日中の喧騒を忘れさせる静けさが、まるで時の止まったようなこの地に漂っている。この村の外れには古びた神社があり、その由来を知る者はもうほとんど残っていない。

大学の民俗学を専攻する私、藤本直人は、偶然大学の図書館でその神社にまつわる古い文献を見つけた。「古泉神社」と呼ばれるその神社は、古代からの信仰に支えられ、村人に絶対的な畏敬を抱かれていた。しかし、ある出来事を境に、人々は神社を避けるようになり、その経緯を記録した文献も村から消えうせたという。

好奇心に駆られて私はゼミの合宿を兼ねてその地を訪れることにした。対する教授は一枚の古地図を頼りにしつつも、場所の特定には難儀した。村に到着すると、祭礼に用いたであろう面や装束が無造作に放置された社の朽ち果てた小屋が目に付いた。村の老人たちはなぜか口を揃えて「近づいてはならない」と静かに警告した。

神社へ通じる山道は細く、両脇に鬱蒼と茂る木々が、わずかな月光すら遮り、足元を見失いそうだった。何度も来る者が少ないせいで、苔むした石段が危うげに軋んだ。道中、神社に向かうにつれ、異様なほどに鳥や虫の声は消え、静寂が音を吸いこんでいく様が薄気味悪い。

ようやく神社の敷地にたどり着くと、そこには古びた鳥居が立ちはだかっていた。森の中に忽然と姿を現すその威容に、私は言い知れぬ恐怖を感じた。鳥居の先に一礼し、一歩を踏み出す――途端に冷たい風が頬を打つ。圧倒的な静寂の中で、一人の気配を肌に覚え、後悔が脳裏をかすめた。

境内はさらに荒れ果て、苔むした木々に囲まれた本殿は、光を吸い込むかのような闇に包まれている。奇妙なことに、その闇の中に私は確かに何かが動くのを見た。足音か、それとも風の戯れか。確かに何者かの気配がした。その影は、一瞬私への興味を示し、消えていくようだ。

本殿の扉はわずかに開かれており、私を招くかのように漆黒の奥へと誘った。意識ならぬ意志が、扉を越えての探究を促した。湿った木の匂いが鼻を突き、過去に倦む歴史がそのまま封じ込まれたかのような空気が漂う。ささくれだった木の床を踏みながら、私は一歩ずつ闇へと踏み込んだ。

かすかな光が射す本殿の中央に、異様に装飾された鏡台が鎮座している。その鏡面には何も映らず、意識を吸い込むかのようだった。まるで私の存在をあざ笑うように、その面は音も無く怪しく輝いた。神秘と禁忌が交錯し、私の心は鼓動と共に乱れていった。

その瞬間だった。ドン、と地鳴りのような重低音が響き、鏡台が不気味に揺れた。その音に驚き振り返ると、本殿の奥から、長い髪を振り乱した白装束の女性が、無表情でこちらを見つめている姿を見た。その視線には何の感情も宿っておらず、ただ覗き込む深淵のようだった。

不意に、彼女は口を開け発した。低く、そして澄んだ声で、「ここへ来てはならない」と告げた。その一瞬、彼女の背後に無数の影が重なり、一体となって鎌鼬のように闇を切り裂いたように思えた。

恐怖に駆られた私は、無我夢中で神社を飛び出した。足元の苔に滑り、転んでもなお、私は振り返ることなく駆け抜けた。肩越しに振り返ると、木々の隙間にちらつく影が、暗夜に戻っていくのを見た。

村に戻ると、私は夜明けまで震え続けていた。そして思い出したかのように、村の老人たちが繰り返し警告していた言葉が頭を過ぎる。「彼らは、古の祭りの霊。もうこの世には存在しないが、祭りが絶えた後も、ずっとそこに居続けているのだろう」と。今でもあの神社は、人の想いを宿したまま、静かに秘めた姿をさらしている。

翌朝、私は村を後にし、都心へ戻った。だが、あの神社での出来事は、未だに私の記憶の深部でささやく。忘れ得ぬ夜の恐怖として、私の中で静かに息づいているのだ。あの場所こそが、触れてはならない聖域であり、長い歳月を超えて受け継がれる畏怖なのだ。誰かがその秘訣に気付くまで、触れることのないままに――。

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