神隠しの廃ホテルと異界の恐怖

神隠し

私はその日、友人の誘いを受けて、地元では「出る」と噂される山奥の廃墟に行くことになった。訪れることになった場所は、かつては繁栄していたホテルだったが、今ではすっかり朽ち果てて人の訪れる気配などない。しかしながら、地元の若者の間では、そこで「神隠し」が起こるというあまりにも名高い話題の場所であった。

その日、私と友人の健二、そしてもう一人の友人である美咲の三人で、車に乗り込み、目的地であるその廃ホテルへ向かった。

到着したのは夕方、太陽が沈みかけ、辺りが赤っぽく染まり始めている頃だった。ホテルの入口は草むらに埋もれ、近づくだけで何とも言えない不気味な雰囲気が漂っていた。この時点で少し嫌な予感がしていたのだが、私たちは好奇心に押されて、つい内部を探索することにした。

入り口を跨ぐと、さらに濃い闇が私たちを包み込んだ。内部は埃っぽく、湿気でじっとりとした空気が辺りを覆っている。崩れ落ちた天井や崩壊しかけた壁をすり抜けて先に進むと、不意に大きなホールに出た。そこには観光客用の大きな案内図が残されており、かすれた文字で「展望台」の文字がまだ読めた。

しばらくホールを徘徊していたが、どこかしっくりと来ない感覚が体にまとわりつくようだった。「ここはまずいかもしれない。」健二が呟いた時だった。それまで静かだったホテルのどこからか、物音が響いてきた。「誰かいるのか?」声を出すも、返事はない。半ば仕方なく、私たちはその音のする方向――奥の部屋へと進んだ。

そして、その部屋に足を踏み入れた瞬間だった。突然、視界が暗転した。何が起こったのか分からないまま、時が過ぎた。

気が付いた時、私は真っ暗な部屋に一人で立っていた。健二も美咲もどこにも見当たらない。「おい、冗談だろ?」心細さが募り、叫んだが、反響するだけで返事はない。焦りと恐怖が一気に押し寄せる中、私は来た道を引き返そうとした。しかし、歩けども歩けども同じ場所に戻ってしまう。

「まさか、ここが異界?」悪寒が走った。多くの神隠しに関する話を思い出し、一気に寒気が背筋を駆け抜けた。

どれだけの時間が経ったのか、しばらくさまよった後、声が聞こえてきた。それは間違いなく美咲の声だった。「助けて!」必死に追いかけ、辿り着いた先には、ぼんやりと揺らめく美咲が立っていた。しかし、彼女の表情は虚ろで、こちらを見ているはずの視線は、私を通り越していた。

恐怖で凍りつき、次に意識した時には、私はホテルの外に立ち尽くしていた。日が沈み、夜の帳が降りる中、私一人だった。健二も美咲も、どこにもいない。全身を震わせながら、急いでその場を後にした。

この出来事以降、健二と美咲は失踪扱いとなり、二度と戻って来なかった。私も地元に戻ってからは、あの日のことをただの悪夢で片付けてしまおうとした。だが、どうしても頭から離れないのだ。あの時、確かに異界に引きずり込まれる感覚を味わったこと、その後しばらくの間、何かに見られている視線を感じ続けたこと…。

それから数ヶ月が過ぎたある日、ふとした瞬間に日常の風景がずれることが頻繁に起こるようになった。鏡を覗けば自分の顔が微かに歪むように見え、どれだけ鏡面を覗き込んでも不安を募らせるばかり。

周囲に話しても誰も信じてくれない。私が戻ってきた「現実」が、本当に元の世界なのか不安になるのだ。日常に違和感を覚えるたびに、あの日に戻されたような気がして、身の毛がよだつ思いだ。このとらわれた感覚が解ける時が来るのか、それとも永遠に何かしらの異界と繋がっているのか、考えるだけでも恐ろしい。

あの旅行の後、同じ場所に住んでいた私の家族さえも、どこか違うように見えてきた。母の声が以前とは違った音色で響くこともあれば、父の笑顔がいつもより冷たいと感じることもある。どうにかして離れるべきなのか、それとも受け入れ続けるべきなのか、未だに定まらない。

もしもあの日、行かなければよかったのだろうか?考え始めると恐ろしさで眠れなくなり、ただ目を閉じたまま時間が過ぎ去るのを待つしかない。

これが単なる錯覚で終わるのか、それともそうでないのか。誰かに問いかけて答えが得られるわけでもなく、こうしてまた一日、生き延びている。返信を求めるように、再び神隠しの地へ足を踏み入れる気力など残ってはいない。

だが、何かが、自分を呼んでいる。そのささやきは聞こえない振りをしなければならない――再び、取り返しがつかなくなる前に。

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