山深い村に、古い神社がひっそりと佇んでいた。そこは長い年月の間、訪れる人も少なく、森と草に飲まれたかのような境内が広がっていた。その神社には「語ってはならぬ事」があると、村人たちは口を揃えて言う。誰もがその恐ろしさに触れることを恐れていた。
その村に、東京から一人の若い男性、岸田直人がやってきた。彼は民俗学の研究者で、失われた伝承を探すため、全国を回っていた。村の歴史について調べるうちに、その神社のことを知り、どうしてもその謎を解き明かしたくなった。
ある朝、村の老人が語る伝説を直人は聞いた。
「その神社には『横取りの神』が祀られていると言われておる。どんな願い事も叶えてくれるが、対価として何かを奪っていく。その『何か』が何か、大昔の者は知っとったが、今では誰も覚えとらん。ただ一つ、決して欲を出してはならんのだ」
その言葉に興味をそそられた直人は、一人で神社を訪れることを決意した。深夜、月明かりに照らされる中、彼はひっそりとした森の中を進んだ。木々はささやき合い、風が草を揺らす音だけが響く。
やがて、古びた鳥居が現れた。苔むした神社の境内には、不気味なまでの静寂が漂っていた。直人の心臓が高鳴り、不安と好奇心が入り混じる。
彼は慎重に進み、神社の奥にある本殿へと向かった。その扉の前で一度立ち止まり、深呼吸をした。
「横取りの神…もしあなたがいるのなら、私はただ真実を知りたいだけです」
彼は扉を開けた。その瞬間、冷たい風が彼を包み、不気味な気配が漂ってきた。参道に歩みを進めると、不意に頭痛が彼を襲った。激しい痛みが彼の視界を歪ませる。
目を凝らすと、そこには人の姿があった。影のように曖昧な輪郭で、見る者の想像に応じて形を変えるようだった。その影が口を開き、ささやく。
「お前は何を望むのだ?」
その問いに、直人は瞬く間にいくつもの思いが浮かんだ。しかし、欲を出してはならないという老人の言葉が頭をよぎり、彼は一つの問いを放った。
「この神社の秘密を教えてくれないか?」
その影は微かに笑ったかのようだった。瞬間、直人は激しい寒気とともに意識を失った。
次に目を覚ましたとき、彼は神社の前に横たわっていた。夜もすっかり明け、朝の清々しい空気が漂っていた。彼は起き上がり、村へと戻る道を歩き出した。
しかし、それ以来、彼の中の何かが変わった。彼は夢の中で、あの影としばしば対話するようになった。影は様々な知識を授けるが、その代償に直人の日常を少しずつ蝕んでいった。彼は日に日に感情を失い、無機質な存在になりつつあった。
ある日、直人は村人たちの前で泣き崩れた。
「私は何を失ってしまったんだろう。私は何をするべきだったのか…」
その問いに答える者は誰もいなかった。ただ一人、あの老人が静かに微笑んでいた。
「それが、『横取りの神』のやり方さ」
村人たちは顔を見合わせ、黙ったまま神社の方を見つめた。氷冷めた空の下、それでも神社は静かに佇み続けていた。その存在が、人々を魅了し、恐れさせるのはいつまでも変わることはない。
直人は、村人たちの言葉の重みをようやく理解し、その後は村を去り、外の世界へと戻っていった。何もかも失いつつ、同時に何かを得たような気持ちで。
それ以来、村の神社は再び静寂の中に沈んでいった。誰もが語り合わない神社の秘密は、深い森の奥で静かに眠り続けている。分かち合うことのできないその恐ろしさに、村人たちはただ耐えることしかできなかったのだった。