ぼくの名前はタカシっていいます。小学校三年生です。まいにち学校に行って、友だちと遊んで、それから宿題をして、それでおやすみなさいっていうのがぼくの日常です。でも、ある日から、なんだか変なことが起きはじめました。
最初に気がついたのは、お母さんと一緒に行ったお店です。スーパーに行って、ジュースやお菓子を買おうと思ったんだけど、お母さんの顔がちょっと怖かったの。いつもはにこにこしてるのに、「タカシ、こっちにきて!」って怒ったみたいに呼ばれたの。
それで、レジでお会計してるとき、ぼくはひとりで棚を見に行っちゃった。このジュースもおいしそう、このお菓子もいいなって思ってたら、お店の音楽が急に止まっちゃったの。静かになって、お店の人もみんな止まったように動かなくなっちゃった。
ぼくはおかしいなって思って、お母さんをさがしたんだけど、どこにもいない。ただ、お店のみんながじーっとしてる。
その次の日も変だったの。学校に行く途中の道で、いつも会うおじちゃんがいたんだけど、ぼくに気がつかないみたいに通り過ぎちゃった。そのときに気がついたんだ。おじちゃんのかばんの中から、変な音が聞こえてきたの。ガラガラっていう音。
学校では友だちと遊ぶつもりだったけど、みんななんだか変で、背中を向けて話すようになった。ぼくが何か話しかけようとしたら、急に無視されちゃったんだ。先生もいつもは優しくて、おもしろいこといっぱい教えてくれるのに、その日はずっと同じことばかり言ってた。
「今日は天気がいいね。今日は天気がいいね。今日は天気がいいね。」
それをずっと繰り返すだけで、授業なんて始まらない。教室の外を見ても、他のクラスの子たちもじっと座ってて、動かない。
学校が終わって家に帰ると、お母さんがキッチンで料理してた。でも、音楽をかけてるのかと思ったら、音がなかった。お母さんの口も、何もしゃべらないで動いてるみたい。ぼくが「ただいま」って言ったら、お母さんの顔がぐるっとこっちを向いて、それから元に戻った。
お母さんは普段どおりに振る舞ってるの。でも、目が笑ってない。
夜ごはんは好きなカレーだったけど、なんだか味が変だった。それを食べ終わったころ、家の電気がパチパチして、一瞬真っ暗になった。それからまた明るくなったけど、いつもと違う。家の中が少しずつ黒く、古びた感じになってきた。
寝るとき、お父さんとお母さんがぼくの部屋に来たけど、いつもと違う声でおやすみって言った。それがくぐもった声で、なんだかぼく、怖くなっちゃった。
次の日、学校に行くと、教室の黒板がまっさらになってて、誰もそこに何も書いてない。先生も来なくて、ただクラスメイトがみんなで後ろを向いて座ってる。ぼくひとりだけ、黒板の前に立って。それが怖くて、教室を飛び出した。
校庭で走り出そうとしたら、なんだか空がへん。空が下に降りてきて、大きな手がぼくを掴んでるような気がしたの。それから地面に穴が開いて、そこに引きずり込まれちゃうような感じ。だから全力で家に走って帰ったんだ。
家に帰ってドアを開けると、中は暗くて、誰もいない。それに、いつもは聴こえるテレビの音もない。家が同じ家じゃないみたい。散らかっているし、家具が崩れてる。
「お母さん!お父さん!」って叫んだけど、返事はなかった。ぼくは不安になって、押し入れに隠れた。
何も聞こえない闇の中、ぼくの心臓だけがトクン、トクンって音を立ててた。その音がだんだん大きくなって、ドアが勝手に開いて閉まる音がした。
「お母さんかも!」と思ってそっと外を見たけど、そこにいたのは知らない人だった。その人はぼくを見て、にやりと笑ったんだ。歯が真っ黒で、目がシマシマになってる。ぼくは押し入れの扉を閉めて、ぎゅっと目をつぶった。
しばらくして、静かになったから、再びそっと押し入れから出ようとした。でも、その前に、だれかの足音が、ぼくの部屋に入ってきたのがわかった。静かに畳をきしませて歩いているようで、ぼくはもう一度、ドキドキしながら隠れなきゃって思った。
その時、ドアの向こうから優しい声がした。「タカシ、こっちにおいで。」
最初はお母さんの声かと思った。でも、それは変だった。同じ声だけど、何か違う。まるでラジオから流れるお話の声みたい。ぼくは怖くなって、その声を無視した。
だけど、部屋の電気がふっと明るくなったり、消えたりし始めた。毎回その声が「タカシ、おいで。」って言うたびに、電気が消えた。
恐ろしくて、ついにぼくは押し入れから飛び出して、お部屋の外に飛び出した。家は変わっていて、壁には変な模様がいっぱい描かれていた。見たこともない絵が、天井まで続いてた。それはぐるぐる回る模様で、見てると目が回りそうだった。
がらんとした廊下を抜けて、外に出ようとすると、玄関には鏡が立てかけられてた。その鏡には、ぼくの姿が映ってたけど、それはぼくじゃなかった。顔がぐちゃぐちゃで、笑ってるんだ。
ぼくはこわくて、部屋を飛び出して家の外に出た。外に出ると、空が真っ黒で、いつもの道もなくなってた。道には誰も歩いていなくて、ただ風がぼくの耳元を吹き抜けた。
ぼくはこのままじゃダメだって思って、走り出した。どこに行くかわからなかったけど、とにかく走って、走って、走った。
気がついた時、ぼくは小学校の校庭にいた。そこで、ふと一人の女の子がぼくに近づいてきた。それは知らない子だったけど、「一緒にあそぼうよ」って言って手を差し出してきた。
その手は冷たくて、まるで霧のように消えそうだった。ぼくはその手を取らないで、じっと見てた。彼女もそれ以上何も言わず、ただじっとぼくを見上げてた。
ふいに、空から雨が降り出して、ぼくたちは濡れた。だけど、その女の子は濡れても透き通っていくばかりで、少しずつ消えていくみたいだった。
ぼくが不安で「君は誰なの?」って質問したとき、彼女は微笑んで、「ここが君のいるべきところだから」と答えた。
彼女の声を聞いたそれと同時に、周りの景色が変わり始めた。真っ黒な空が昼間の空に戻って、校庭にはみんながいた。ぼくの友だちも、先生も、みんなぼくのことを普通に迎えてくれた。
でも、振り返ると、その女の子の姿はもうなかった。たしかにそこにいたはずなのに、どこにもいない。
それからかな、日常に戻ったように見えても、ぼくは時々その違和感を感じるようになった。家も、学校も、すこしずつほんの少しだけ、何かが異なる感じ。
結局、その体験が本当だったのか、夢だったのか、ぼくにはわからない。ただ一つ確かなことは、それ以降、ぼくの日常はほんの少し傾いていて、その傾きがいつか大きな波になって押し寄せてくるような気がしている。
そんなことを考えていると、あの日の女の子の微笑みが浮かんできて、ぼくは少しだけ安心するんだ。大丈夫、まだ大変じゃないから。
でも、何が「まだ」なのかは、ぼくにはまだわからないんだけどね。