私の名前は田中圭一。これは去年の夏、実家に帰省した時に起きた忌まわしい出来事の記録だ。その体験は、私を夜な夜な悪夢で苦しめ、目を閉じる度に蘇る。誰かに話すことでその重圧が少しでも軽くなることを願って、ここに記す。
その夏休み、私は久しぶりに故郷の田舎に戻ることにした。都会での忙しない日々の喧騒から逃れ、幼少期を過ごした田舎の静けさに憩いを求めたのだ。両親の家は、小さいが趣のある古い木造家屋で、父親が大切にしていた庭がある。しかし、今回の帰省は何か異様な空気に包まれていた。
最初の異変は、近所の人たちからの視線だった。村の小さな商店で買い物をしていると、村人たちは何やら私を遠巻きにして小声で囁くのだ。子供の頃から知っているはずの顔が、まるで私が見知らぬ者であるかのように冷たかった。それでも私は気にせず、両親と平穏な時間を過ごした。
夜になると、森の奥から何かが聞こえてくる。低く不気味な唸り声のようなもので、風の音に混じって微かに聞こえる。両親に話しても、森の動物が鳴いているだけだと気に留めなかった。それでも何かが気になり始めていた。そこで私は、心の中に芽生えた不安を振り払うために、翌朝に森を散策することに決めた。
翌日、日の出とともに私は森へ向かった。幼少期の探検心が蘇り、私は見知らぬ道を歩き始めた。すると急に空気が変わり、周囲の緑が一層濃く、異臭が漂ってきたのだ。その瞬間、背筋に氷が流れるような感覚を覚えた。
私の目には奇妙な光景が飛び込んできた。森の奥まった場所に、無惨なまでに切り裂かれた動物の死骸が散らばっていたのだ。どれも小動物ばかりで、黒い影が遠巻きに見ていた。驚きと恐怖で体が動かない。その中でさらに不安を誘うのが、地面に描かれた不気味なシンボルだった。何かの儀式で使われたような、血で描かれた奇怪な模様があった。私はただ恐怖に打ちのめされ、その場を逃げ去るしかなかった。
家に戻った私は、両親にそのことを話した。しかし父は険しい顔で「もうあの森には関わるな」と言うばかりで、それ以上深く追及させてくれなかった。母もまた不安げな表情を浮かべて、黙っている。その姿は、なにかを必死に隠そうとしているように見えた。
その晩、私は部屋で何度も庭を覗き見た。月明かりが庭の影を濃くする中で、ふと人影が動くのを見た気がした。夢中で外に飛び出してみると、ただ風が樹木を揺らしているだけだった。しかしその時、森の方角からかすかに囁き声のようなものが聞こえ、肌が粟立つのを感じた。
次の日、意を決して再び森へと足を踏み入れた。前日見た光景が頭をよぎるが、真相を確かめなければどうにもならない衝動に駆られていた。森に入ってすぐ、私の注意が特定の場所に引き寄せられた。そこには木立の間に異様な感覚を伴う場所があった。再びそのシンボルが地面に描かれており、今度はそれがより大きく、複雑な図形となっていた。
一人の老人がそこに立っていた。彼は村で一度だけ見かけたことがある人物で、周りの人々からは「はぐれもの」と呼ばれていた。彼は私に気付きもせず、何かをぶつぶつと呟きながらシンボルの周りを歩いていた。彼の手に握られた鈍く光るナイフは、私に何が行われているかを悟らせた。
恐ろしくなり、その場を後にしようとした瞬間、背後に気配を感じて振り返ると、何人かの村人たちが立っていた。彼らは異様に無表情で、先ほどの老人の行為を見ていることに対して何の反応も示さなかった。その光景を目にし、私はついに理解した。この村全体が、何か恐ろしい秘密を抱えているのだと。
走り去りたい衝動に駆られつつも、足が動かず身体はその場に釘付けにされていた。その時、老人の呟きが一層大きくなり、周囲に不気味なエネルギーが充満したかのように感じられた。木々が音も無く揺れ、とんでもない狂気が私を包んでいた。
ようやく逃げ出す勇気を奮い起こし、家に戻ると両親に杜撰な事情を訴えた。だが彼らの反応は冷たく、父は単に「お前は何も見なかった。それでいい」と言い残したまま書斎に閉じこもってしまった。母もまた無言で私を手招きし、帰り支度をするよう促すだけだった。
荷物をまとめ、村を後にする私を見送る両親の目には、何かを諦めたような無表情があった。しかし電車が出発した瞬間、私は窓越しに信じられないものを見た。遠くに広がる森の木々が、まるで生き物のように蠢いていたのだ。
この経験以来、私は再びあの村へと足を運ぶことは無かった。しかし、あの不気味な夏の記憶は今もなお私を縛り続けている。村で何が行われていたのか、もう知りたくはない。それでも時折、故郷からの呼び声が私を誘う。その度に、あの森の囁き声がどこかでこだましているように感じるのだ。現実から乖離したあの日々が、夢なのか悪夢なのか、今となってはもう確かめる術は無い。