夜が更け、鈍い月光が村の静寂を鋭く裂くころ、青年の名は蓮司(れんじ)といった。ある秋の夜、彼は祖母の遺品整理のために久しぶりに村の家を訪れた。長い間、祖母の死を直視できずにいたが、避けては通れぬ義務にようやく向き合うことにしたのだ。
家に着くと、不気味なほどの静けさが部屋の隅々まで覆い尽くしていることに気付き、蓮司は思わず身震いした。埃を被った家具と半ば朽ちかけている床、この趣き深い家屋の中で祖母の存在だけが色褪せることなく感じられた。
手元の古びた鍵で扉を開けると、埃っぽい空気に混じって不穏な感覚が彼を包み込んだ。棚に並ぶ古書や壊れかけた人形、祖母の手で編まれた緻密なレースの数々。それらを観察しながら、彼は不意に押入れの奥から、古ぼけた木箱を見つけた。
その箱を開けると、そこには色褪せた写真と一冊の日記がをめくる中で、彼は祖母の知られざる一面と過去の秘密を垣間見ることとなった。日記には、古い因習や呪いに関する記述があり、そこには「決して開いてはならない」という厳しい言葉が記されていた。
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蓮司の好奇心は、彼を日常から逸脱した危険な領域へと導き始めていた。彼は、その警告を軽視し、日記に記された儀式を行うことを決意した。それは、祖母が関わったとされる「悲鳴が聞こえる夜」という呪いの儀式だった。
村の住人たちは、かつてこの村には人外のものが住んでいるという噂を、蓮司が幼いころから耳にしていた。「悲鳴が聞こえる夜」とは、何かを求め、何かを失う夜。その言葉には、何か恐ろしい運命が隠されているように感じられた。
決行は、満月の夜に訪れた。蓮司は静かに家を抜け出し、暗い森の中へと足を踏み入れた。彼が進むほどに森の音は消え、気が付けばあたりは無音の世界となり、不安を掻き立てる。不思議と、空気までもが淀んでいるかのように重苦しくなっていた。
森の奥深くで、儀式を執り行うための祭壇が現れた。それは、古い木と石で囲まれた奇妙な空間だった。周囲には、祖母の書き記した呪符や古代の模様が幾何学模様のように刻まれ、その異様な光景に、蓮司は無意識に身を震わせていた。
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蓮司が呪いを解きたいと願った時、望んだわけでもなく彼の中で何かが壊れる音がした。その一瞬、彼の周りの空気が変わった。静寂の中に不気味なざわめきが生まれ、青年の耳には村人が話していた痩せた声が響き渡った。その声は深い悲しみと怒りに満ちていた。
「何も失わないで済むわけではない。あの世とこの世は、等価交換が必要なのだ。」
彼は声に導かれ、半ば朦朧として深い眠りの中のように意識を漂わせながら祭壇に手を伸ばした。手の感触が何か柔らかく、それはダミ声のような笑い声を生み出した。そこで彼の心は切迫した不気味さに怯え、後戻りできない深淵へと押しやられるのを感じた。
声は消え、気が付けばその場には無人で、闇だけが蓮司を包み込んでいた。
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それから数日後、村の人々は蓮司の失踪を知り、悲鳴のような声が再び口伝えられるようになった。村人たちは、森の奥深くに何か得体の知れないものが住んでいることを恐れ始めた。
村がその夜に起きた出来事を、呪われた過去の復讐だと認識するようになった。あるいは、祖母の朽ち果てた因縁が今もなおこの地に影響を与えているのかもしれなかった。
それ以来、村では満月の夜、家から人々が外出することはなくなった。聴き取れぬ声、理由のない恐怖、それはすべてが村に重く降り積もる呪いの一旦だった。
そして、残された村の者たちは、呪われた過去が現代にも続いていることを薄々と確信し始め、日記にあった戒めの言葉を改めて心に刻んだ。「決して開いてはならない。」その意味を、彼らはようやく理解し始めたのだった。