秋の夜は深まり、月が雲間から顔を覗かせるたびに、その光が山を白く照らし出していた。私は大学で民俗学を専攻する一環として、その山奥にあるという「消えた村」を訪ねることになった。噂では、村は急な山崖と濃い森に囲まれた場所にひっそりと存在し、古くから独特な風習を持っているという。
到着すると、村は古い木造の家々が立ち並び、まるで時が止まったかのようだった。案内役に指定されたのは、村で唯一観光客を受け入れているという宿の女将だった。彼女は歳を取っていたが、その目には鋭い光が宿っており、何かを隠しているように見えた。
「ここに来ることを決めたのは、何か特別な理由があるのかしら?」彼女は静かにそう尋ねた。
私は笑って答えた。「民俗学です。村に伝わる独特な文化や風習を研究したいと思っています。」
その時、女将の表情が一瞬固くなり、次に微笑んだ。「この村のことを知るためには、村の守り神に挨拶をしなければね。」
彼女は、村の更なる奥にある、半ば苔に覆われた神社へと私を案内した。そこには古びた鳥居があり、その先には、不気味なまでに静かな拝殿がひっそりと佇んでいた。木々に囲まれているため、月光もほとんど届かず、不気味な暗闇が支配していた。
「この神社は、この村の心よ。」女将は慎重に言葉を選びながら説明した。「そして毎年、この時期に神様への奉納を行うわ。それが、村を守るための大切な風習なの。」
その奉納とは具体的に何なのか、気になったが、彼女はそれ以上話してはくれなかった。ただ、その眼差しが一瞬、何かを訴えているかのように見えたのを覚えている。
夜が深ければ深いほど、村全体が漂わせる異質な雰囲気は増していった。家の窓から漏れ出る灯りも次々と消え、ついには、月明かりだけが村を見守ることになった。その中、私は宿の窓から外を眺めていた。どこからともなく聞こえてくる風の音、木々がささやき合う音。何かを警告しているかのようだった。
異様な出来事は、それからすぐに起こった。夜更け、眠れぬままに窓の外を見ていると、村人たちが集まり始めるのが見えた。皆一様に、厚手の白装束を身にまとい、手には何かを持っていた。私は興味に駆られ、静かに宿を出てその後を追った。
村人たちはほとんど声を出さず、神社へと向かっていた。暗闇の中を進む彼らの姿は、まるで夢幻の中の存在のように現実味がなかった。しかし、その行動には確かに意味があるようだった。
神社に着くと、彼らは一列に並び、中央の石の祭壇に向かって何かを捧げ始めた。その瞬間、月が雲から現れ、はっきりとその光景を映し出した。
それは、村人たちが長い間守り続けられてきたらしい、一対の生け贄だった。その生け贄が何であるか、私には遠くからでは見えなかったが、人の形をしたものだったことは確かだった。恐ろしさに震えて、暗がりからその様子を見守っていた時、誰かの足音が背後で停止した。
「それを覗いてはいけない。」
低く、しかしはっきりとした声が響いた。振り返ると、そこには老いた村の長老が立っていた。
「それは村の繁栄と安寧のために必要なこと。それを外の者が見れば、神罰が下ることになる。」
私は背筋を冷や汗が流れるのを感じながら、その場を離れた。村の長老は、私に何も問うことなくそのまま黙って立ち去った。
翌朝、村は何事もなかったかのように平穏だった。宿に戻ると、女将が静かに朝食の準備をしながら、私を見て微かに微笑んだ。「村のことを知るのは難しいですね。」
私は頷きながら、前夜の出来事を胸に秘め、再び村の探索を始めた。しかし、それ以降、誰に話を聞いても、何も答えは得られなかった。その風習について尋ねると、誰もが曖昧な返事をするだけで、その真相は謎のままだった。
数日後、私は村を去ることにした。その夜の出来事と、村全体に流れる不気味な静けさが、どうにも忘れられずにいた。去り際、女将が見送りに来てくれ、再びあの鋭い眼差しで私を見つめた。
「この村が残るために守り続けてきたこと、それがどんな意味を持つのか、いつか分かる時が来るかもしれませんね。」
その言葉の意味を考えながら、私は村を後にした。帰りの山道で振り返ると、村は山の中に溶け込むように消えていき、まるで存在しなかったかのようだった。
その後、村のことを誰もが語らず、地図にも記載されていないという事実を知った。ただ、一つだけ分かっていたのは、あの村が、私が触れることのできなかった秘密を抱えたまま、静かにその時を生き続けているということだった。何が真実で、何が虚構なのか、その答えは未だに闇の中で手探りの状態だった。