私は大学生の時、一人暮らしを始めたばかりでした。新しい生活、自由な時間、全てが新鮮で興奮していました。しかし、その自由な時間が、私を予期せぬ恐怖へと導くことになるとは、その時は思いもしませんでした。
引っ越したアパートは古い建物で、築年数もかなり経っているようでした。しかし、家賃が手頃で駅からも近く、何より周囲は静かだったため、私はその物件を即決しました。部屋は狭かったものの、自分だけのスペースがあることが何よりも嬉しく、それからの日々は快適でした。
ある静かな夜のことです。心地よい疲れを感じながらベッドに横になると、不意に変な物音が耳に入ってきました。それは人の話し声のようにも感じられました。耳を澄ますと、その声はかすかで、何かを囁くような音でした。最初は隣の部屋から漏れ聞こえてくるものと思い、気にしないようにしました。しかし、その声は次第にはっきりと私の部屋の中から聞こえてくるように感じ、自然と身震いしました。
その日から毎晩、同じ時間にその囁き声が聞こえるようになりました。話の内容や声の調子は日によって異なりましたが、いずれもどこか切迫した雰囲気を持っていました。声は誰かに何かを伝えようとしているかのようで、私の胸をざわつかせました。
ある夜、耐えられなくなった私は、声の出所を突き止めようと部屋の中を歩き回りました。しかし、どこを調べても声の主は見つからないまま。私は次第にこの現象が自分の精神状態に起因するものではないかと疑い始め、ストレスや環境の変化が影響しているのではないかと思い始めました。
その頃、私は大学の友人たちにこのことを話しました。友人たちは最初こそ冗談半分でしたが、次第にその表情が真剣になっていきました。一人がふと思い出したように「あのアパートって、ちょっとしたいわくつきの場所だという噂があるよ」と言い出しました。聞けば、以前その部屋で住んでいた住人が突如行方不明になったという話でした。彼がいなくなった後ものすごく不気味な現象が続き、多くの住居者がすぐに退去してしまうというものでした。
その夜、私は再びその声を聞き始めました。しかしその日は声がはっきりと聞き取れました。「助けて・ここにいる」と何度も繰り返される声がしっかりと聞こえてきたのです。恐怖に駆られながらも、私は携帯電話のライトを手に取り、声のする方へ足を向けました。
声は部屋の隅、押入れから聞こえていました。意を決して押入れを開けると、何もありません。ホッとしたのも束の間、私は床下に何かしらの不自然な隆起を見つけました。心拍数は上がり続けましたが、何かに突き動かされるようにその場所を掘り始めました。手が触れるのは、朽ちた木材と埃にまみれた古い日記帳でした。
その日記には、かつてこの部屋に住んでいた住人の日々が記されていました。最後のページには「この部屋から出ることができない。誰か助けて」という文字が急いだように書き殴られていました。戦慄を覚えた瞬間、私の背後で何かが動いた気配がしました。恐る恐る振り返ると、そこには誰もいませんでした。しかし、もはやこの部屋にい続けることはできないと感じ、私は急いで荷物をまとめてそのアパートを去りました。
後日、友人たちに話をすると、私は考えすぎではないかとの反応が返ってきました。しかし、私自身は明らかにあの部屋に何らかの存在がいたと確信しています。
引っ越した後、あの声が聞こえることは一度もなくなり、穏やかな日常が戻ってきました。あのアパートで私が聞いた声と見たものが何だったのか、真相を知る術はもうありません。ただし、あの部屋で一体何が起こったのか、あの日記の書かれた住人が本当にどうなったのかは、今も私の中で答えが出されないままです。
私の体験が誰かの参考になり、あの部屋に囚われた声なき者に平穏が訪れることを願います。