あれは、私が大学に通っていた頃のことです。毎日同じ道をたどり、電車とバスを乗り継いでキャンパスに通っていました。そのルーティーンは、私にとって日常そのものであり、特に驚くことはありませんでした。しかしある日、それが徐々に崩れていったのです。
最初に気付いたのは、通学途中のいつもの駅でのことでした。ホームに立っていると、見慣れたポスターの一つが違うことに気付きました。それは新しいキャンペーンポスターが貼られたのかと思いましたが、目を凝らして見ると、いつもの広告主のものでした。ただ、その内容が異様に感じられたのです。「すべてが見つかる、ここにある。」というキャッチフレーズとか、笑顔の女性モデルの表情がどこか不自然でした。
しかし、その時はそれほど深く考えず、電車に乗り込んだのです。電車内もいつも通り混んでいて、私は吊革に掴まりながらスマートフォンを眺めていました。ふと顔を上げると、隣に立っている人のスマートフォンの画面が目に入りました。そこには、見覚えのある駅の広告ポスターが映し出されていました。しかし、そこに映る女性の顔は、私がホームで見た時よりも曖昧で、まるで画面が乱れているかのようでした。
その日はとりあえず大学の授業をこなしながらも、なんとなくそのポスターのことが頭を離れませんでした。帰り道、再び同じ駅に立つと、案の定ポスターが目に入りました。駅の明るい照明の下、今度はその女性の顔がさらに朽ちているように見えました。まるで写真が古びて劣化しているようで、背筋が冷たくなりました。どうして同じ日にこれほど変化しているのか、頭が混乱しましたが、それ以外はいつもの景色なので、次第にそれを無視することにしました。
数日後、今度は通いなれたバスの中で異変が起きました。いつも座る窓際の席に腰を下ろすと、窓越しに見る自分の姿がどこかおかしいのです。最初は自分の顔がただの映り込みだと思っていたのですが、それが微妙にずれているのです。まるで、もうひとつの自分が窓からこちらを覗いているような、そんな奇妙な感覚に襲われました。
その日は少し不安になりながら帰路に着きました。家に帰り着くと、何事もないように家族が迎えてくれましたが、妙な疲れがどっと押し寄せ、食事もそこそこに部屋に引きこもってしまいました。部屋の明かりを消し、ベッドに横たわったのですが、なおも不安は消えませんでした。
その翌日、再びあの駅へ向かうと状況はさらに悪化していました。あの女性の顔は完全に崩れ、ポスター全体がまるで何かに侵食されているように見えました。ここまで来ると、ただの錯覚とは思えませんでした。でも、不安に思う自分を押し殺し、電車に乗り込みました。
電車の中で、ふと周りの乗客を観察していると、なんだか様子がおかしいのです。全員が同じ方向に視線を向け、硬直したまま動かない。ただし、私だけは何も感じられない。ただ、その異様な静寂に息を飲み、無意識のうちに車両を移動しました。そんな私を誰も見ていないことにすら、恐怖を感じました。
不安がピークに達した状態で大学に着きましたが、授業に集中できる状態ではありませんでした。友人にこの状況を話しても、信じてもらえそうになく、結局1人で悩みを抱え込むことにしました。
帰り道、駅を通過する時、いつものようにポスターを確認しました。しかし驚くことに、そこには何もありませんでした。ポスターが消えていたのではなく、掲示板そのものが撤去されていたのです。私の不安は頂点に達しましたが、乗る電車は待ってくれません。当然の如く、電車に押し込まれ、帰路につくしかありませんでした。
その夜、家に着いても居心地は悪いままでした。部屋の中にいるとどこか違和感がありました。まるで部屋の空気そのものが変わってしまったかのように。見ると、日常的な風景の一部に変化がありました。ただ、それが何なのか具体的にはわかりませんでした。家族にそれを言っても「気のせいでしょ」と笑われるだけで、解決には至りませんでした。
次の日も異物感の中で1日を過ごしましたが、その日は違う方法をとることにしました。帰りの電車を一駅手前で降り、違うルートで家に帰ることにしたのです。しかし、その道すらも私の日常に染まっていることに気付きました。見る景色は少しずつ、私が知っている風景ではなくなりつつあったのです。
結局、解決策は見つからず私はその日常崩壊の恐怖に打ちひしがれました。それでも人は生きていかなくてはならない。日常は無慈悲に流れ続け、私はその中で、少しずつ変わっていく風景に飲み込まれていく感覚を味わいながら、ただその中で生きていました。そしてそれが、私の毎日を静かに侵食していったのです。