新型感染症と蘇る死者の恐怖

感染症

私は東京でシステムエンジニアとして働いていた。ある日、いつものように朝の電車で通勤していると、乗客の中に一人、異様に咳込んでいる男がいた。その男から数日後、奇妙な出来事に巻き込まれることになるとは夢にも思わなかった。

最初に体調の変化を感じたのは一週間後のことだった。何となく体がだるいと感じる中で、ニュースでは新型の感染症が広まっていると報じていた。最初はいつものインフルエンザのようなもので、すぐに収束するだろうと甘く見ていた。しかし、事態は想像を超えて進行していたのだ。

会社では次第に体調不良の社員が増え始めた。上司が倒れ、同僚が次々と休み始め、社内にはひどい咳をする者が増えていった。私もいつもと変わらぬ気持ちで出勤していたが、ついに熱を出して倒れてしまった。反応の鈍くなった電話を握りしめ、病院に連絡を入れると、医療機関はすでにパンク状態で待ち時間が数日だという。仕方なく職場で待機し、帰宅を試みるも、マスクをした人々でごった返す街中で思うように進めなかった。

その間にも感染は広がり、死者の報告が日に日に増えていった。数日後、私は自宅にこもることになった。その時、また異変が起きた。隣の家、普段は静かな老夫婦が住んでいる一軒家から夜中、異様な音が聞こえるようになったのだ。不気味な唸るような声が薄暗い時間に響き、一瞬の静寂の後に再び繰り返された。恐怖と共に私は窓からそっと様子を伺い、それが現実のものであることを知った。

次の日、隣人の老夫婦の家から警察車両がやってきた。どうやらその夫婦は死亡していたらしい。しかし、異様なのはそこからだった。死んだはずの彼らが、家の中から突然暴れ出し、出てきたのだ。近所の住人たちは叫び声を上げ、驚愕しながらバックしていた。どう説明すればいいのかわからなかったが、それはまるで死者が生き返って、人ではない何かに変わってしまったかのようだった。

私の携帯には連絡が相次ぎ、SNSやニュースサイトでは「死者が蘇る」という恐ろしい情報が飛び交っていた。読むと、感染した人々が死後蘇り、他者を襲撃して病を広めているという話だった。本当にそんなことがあるのか、恐怖で手が震えていた。現実と恐怖の境界がわからなくなる中で、今後の生活を考えざるを得なかった。

もし次に来るのが自分だったらどうするのか。生き延びるためには、一刻も早く安全な場所を探さなければならない。私は極力外に出ず、食料の調達も深夜にこっそり行うようにしていた。それでも薄々気づいていた。あの恐るべき感染症は、すでに街全体に浸透していたのだ。

ある日、食料確保のため近くのコンビニに向かっていると、遠くから助けを求める声が聞こえてきた。直感でそれが危険だと察し、物陰に身を隠した。声の方を密かに覗くと、そこには注射器を持った怪しげな男が一人の女性を襲っていた。声を出して助けたい気持ちを必死で抑え、私は息を潜めた。狂気と病気が交錯する中で、自分の力では何もできないことを痛感した。

家に戻った後、電気を消し、暗闇の中で恐怖と不安に苛まれながら眠りにつくまでの時間を過ごした。社会は機能を失い、周りの住人たちも次々とこの世を去っていく。日々減っていく知り合いたちの存在は、ただただ悲しかった。一人ぼっちの部屋で、私は冷たくなった空気を感じながら、生きている安堵と、このままだと味わうかもしれない恐怖の未来とが同居していた。

それからしばらくして、私は何とか生き延びていた。食料はほぼ尽き、逃げ道も限られていた。しかし、ある日突然、一筋の希望の光が差し込む出来事が起きた。残された市民に向けて軍が避難所を設けるという情報が伝わってきたのだ。勇気を振り絞り、私は最後の力を振るって避難所へと向かった。

逃げる途中、何度か「それ」に遭遇しかけた。しかし、ここで倒れたら終わりだという強い気持ちが、私を異常なまでの集中力に導いてくれた。そして、ついに目的地にたどり着いた。体が生き延びられるという安堵感に包まれながらも、ふと、ここで何が待っているのだろうという未知の未来に不安を感じた。

そうして一命を取り留めた私は、今では正確な情報を追うための作業に参加している。感染は徐々に収まりつつあり、この後は再発防止に向けた動きが始まるという。しかし、あの異常な体験は頭から離れず、時折蘇る隣人の呻き声に神経を尖らせている。感染症がもたらした地獄の日々、その記憶が完全に消えることは決してないだろう。残された私たちは、恐怖の中で再び日常を取り戻すために努力している。どこかにまだ戦いが続いているという意識と共に。

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