感染者から逃げ続ける親子の物語

感染症

僕があの異様な光景に出くわしたのは、ちょうど一年ほど前のことだった。大都市で働いていた僕は、仕事のストレスから少しでも解放されたいと考え、週末を利用して田舎の実家に帰っていた。その頃、世間はある奇妙な感染症の噂で持ちきりだった。無名のウイルスによって人々が次々と倒れ、さらに死者が次々と蘇っているらしいという、信じがたい話だった。

実家に戻る道中、僕はスマホでそのニュースをチェックしていた。感染症は急速に広がり、報道では多くの人が「変わった」と言われていた。何がどう変わったのか、詳細は明かされていなかったが、「感染者が変得」という言葉がニュースの至る所に散らばっていた。

実家に着いた夜、風の音だけが響く静かな田舎の家で、僕はその出来事を忘れてしばしの安心感に浸っていた。しかし、その夜中、突然の悲鳴が静寂を打ち砕く形で僕を目覚めさせた。慌てて外に出てみると、隣の家の家族が庭で何かに襲われるのを目撃した。その瞬間、強烈な悪寒が背中を這い上がるのを感じた。

家族を襲っていたのは、死んだはずの彼らの祖父だった。どう見ても生者ではない、醜く歪んだ姿であり、嘆き悲しむ家族を次々と襲っていた。叫ぶ母親、泣き叫ぶ子供、そこはまるで地獄の一幕のようだった。僕はその光景に釘付けになり、体を動かすことすら出来なかった。

翌朝、村はまさに混乱の渦に巻き込まれていた。感染した者たちが次々と姿を現し、彼らの家族を混乱と恐怖に陥れていたのだ。僕たちの村は既に手遅れだった。僕は家に戻り、両親を連れて逃げる準備を始めた。

これまでに見たこともない光景が、次から次へと僕の目の前に広がっていた。村の道は、感染者と正常者の入り混じった狂気の世界だった。感染者は自我を失い、生きている人間を探し回り、異常な力で襲い掛かってくる。噛まれた者は、数時間以内に同じ運命を辿る。

僕は両親を必死に守りながら、山へと逃げ込むことを決めた。村のどこにいても安全が確保できる場所などないと判断したからだ。道中、何度か感染者たちに見つかりかけたが、幸運にも難を逃れた。

山に入ると、僕らはまるで様子の違う静けさに包まれた。しかし、それも長続きするものではなかった。夜が訪れる頃、梢を揺らす風の音が、低いうなり声に変わっていた。感染者たちが、山中まで探しに来ているのだと直感した。

僕らは山小屋を見つけ、そこに一晩身を潜めることにした。電気も無く、周囲を見渡す手段は懐中電灯のみ。外の気配に耳を澄ませながら、家族が無事であることを祈るしかできなかった。

翌朝、僕らは意を決し、もう一度山を降りることにした。しかし、その選択が最悪の結果を招くことになるとは、その時は思いもよらなかった。

途中で遭遇したのは、人間だった。しかしその者は息を荒げ、目は血走り、僕らを理解できる状態ではなかった。彼に咬まれた父は、その数時間以内に、僕らの敵となった。僕と母は、追われる立場に立たされ、逃げることを選んだ。

村はすでに感染者たちの支配下にあった。僕らは駅を目指し、少しでも都会に近づくことで生き延びる方法を探ろうとしていた。感染者たちは日に日に増え、正常な人間の姿を見つけることさえ難しくなっていた。

やがて僕と母は都会の手前で完全に力尽きた。食料も尽き、ほぼ自力では動けない状況になったが、それでも感染者たちを避けながら進むしかなかった。その先で待ち受ける運命など分からないまま、僕は母だけでも守れるようにと心に誓った。

感染症は人間の体だけでなく、心をも蝕んでいた。そして、人々の信頼や絆をも破壊し尽くしていた。僕は、その凄惨な運命から少しでも逃れるため、未だ見ぬ希望を信じ続けるしかなかった。運命に抗うために、僕と母は彼らから逃げ続けることを選ぶしかなかった。生きるため、今も尚。

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