私はその町で起きた恐ろしい出来事を、今でもはっきりと記憶している。地方の小さな町、人口はわずか数百人。誰もが顔見知りで、日常は静かで穏やかだった。私はそこに引っ越してきたばかりで、都会の喧騒から離れ、心安らぐ生活を求めていた。
その町には、ある古い屋敷があった。住人たちの間では、あまり口にされることはなかったが、誰もが避けて通る場所だった。子供たちはその屋敷に近づかないようにと言い聞かされ、大人たちは自然と話題から外していた。しかし、私はその屋敷に興味を持ってしまった。
ある夜、どうしてもその真実を知りたくなった私は、酒場で出会った老人に屋敷の話を聞いた。彼は、異様に痩せこけた体に深い皺が刻まれた顔を持ち、驚くほど鋭い眼差しで私を見据えてこう語った。
「あの屋敷には、過去に忌まわしい事件があったのさ。多くの人が失踪し、死体が幾つも発見されたんだよ。誰が犯人か、何が起きたのか、真相は闇の中だが、二度とそこには立ち入らないことだ。」
それを聞いた時、私の背筋に寒気が走った。しかし、何かが私を屋敷に引き寄せているような感覚があった。興味本位で「怖いもの見たさ」という感情を抑えきれなかったのだ。
翌日、日が沈むのを待ってから、私は一人その屋敷へ向かった。小道を歩くうちに、不気味な静けさが辺りを包み、虫の鳴き声すら聞こえなくなった。屋敷の前に立ち、錆びついた鉄の門を押すと、不快な音を立てて開いた。庭は荒れ放題で、屋敷は時間の経過を物語るように崩れかけていた。
玄関を開けると、中は薄暗く、埃が積もり、かび臭かった。しかし、何かに誘われるかのように、私は奥へと歩みを進めた。廊下を進むと、壁には古い写真や絵画が掛かっていたが、どれも顔の部分が何者かによって削り取られていた。それを見て、また身震いした。
何の前触れもなく、大きな音がして振り返ると、廊下の奥から人影が見えた。薄暗い中、その人影はじっと私を見つめているように感じた。恐怖に駆られた私は、身動き一つとれず、その場に釘付けになった。
心臓が激しく鼓動する中、人影はゆっくりとこちらに向かって歩いてきた。顔はぼんやりとしか見えなかったが、動きを見る限り人間であることは確かだった。次第にそのシルエットがはっきりしてくると、何かしらの武器を手にしているのが分かった。
咄嗟に逃げ出そうとしたが、足がいうことを聞かなかった。それどころか、その場に立ち尽くしたまま、逃げることを考えることすらできない。恐怖と異様な好奇心がごちゃ混ぜになり、その場にいることでしか生まれない感情に支配されていた。
人影が私から数メートルの距離まで近づいたその時、私は無意識に「誰なの」と声を絞り出した。その人物はこちらに近づくにつれて、凄まじい力で私を押し倒そうとしていた。しかし、その真意を考える時間などあるはずもなく、本能的に後ずさった私の目に飛び込んできたのは、その凄惨な貌だった。
顔中深い傷痕が走り、片目は潰されて肉片がむき出しになり、髪の毛は全て剥げ落ちていた。服はボロボロで、汚れと鮮血にまみれていた。わけもわからず、私は「どうしてこんなことを」と、再び声を上げた。
その瞬間、彼の口元が不気味に歪んだ。この状況にさえも、笑っているように見えたのだ。彼はさらに手にした物を振り上げたが、その時、遠くから警察のサイレンが聞こえた。私は完全にパニックになり、その場を立ち去ることを決意した。
どうにかして屋敷から逃げ出し、全力で走った。後ろから彼が追ってくる気配を感じ、絶対に振り返らないように自分に言い聞かせた。町の中に戻ったとき、ようやく人々の灯りが見え、恐怖から解き放たれるのを感じた。
後日、警察がその屋敷を調査したが、何ら証拠は見つからず、私の証言は幻か悪夢の類だとされた。しかし、私はあの顔、凶器、そしていわくつきの屋敷を鮮明に覚えている。あれから私はその町を去り、二度と戻ることはなかった。そして、今でもあの夜を思い出す時、心臓が凍りつくような思いをする。狂気とは、単に人間の心の中に潜む影なのだろうか、そう思わずにはいられない。