忘れ去られた神社の謎と山の神の裁き

妖怪

深い山間の村に、朽ち果てた神社があった。誰からも忘れ去られたように見えるその場所は、ただ古びた石段を登った先の森にひっそりとたたずんでいる。神社は苔むし、木々に覆われ、月の光を僅かに透かしているだけで、どこか現実の世界から隔絶された空間のようであった。

村ではこの神社について、あまり語られることがない。子供は「化け物に連れて行かれる」と言って近づかず、大人たちも「触らぬ神に祟りなし」といった風情で忘れたふりをしていた。だが、ある若者がふとした好奇心にかられ、夜の神社に足を踏み入れることになった。

その男、名を健二と言う。幼い頃から祖父に聞かされた昔話が心の奥底に引っかかっていた。祖父は言う。「山の神は時に人の姿を借りて、人の世をさまようことがある。その神を無遠慮に見つめる者には、恐ろしい運命が待っているのだ」と。

ある晩、健二は夢にかられるような形で神社を訪れた。月明かりが差す石段を登り詰めると、そこにはいかにも来訪者を待ち受けるかのように、朽ちた鳥居があった。その奥に広がる拝殿の影は、ただ暗黒に包まれ、どこか人ならざる存在が潜んでいるように感じられた。

健二は慎重に足を進め、拝殿の前に立ち止まった。と、その瞬間、風がひときわ強くなり、木々がざわめき始めた。耳元で囁き声が聞こえた気がして、彼は思わず振り返った。そこには誰もいない。ただ木々の間から月が覗くばかりであったが、その静寂の中に潜む何かに、健二は背筋が氷のように冷たくなるのを感じた。

「ここに足を踏み入れてはならない」

その言葉が頭の中で何度も鳴り響いたが、健二はもう戻ることができなかった。一歩、一歩、闇の中を進むたび、彼の心の中の緊張は紐のように張り詰め、今にも切れそうであった。

暗闇の中から、声が聞こえてきた。低く、深く、不気味な響きを持つその声は、彼に対して話しかけるようであった。「何故来たのか、何を求めるのか」と。健二は恐怖に駆られながらも、その声の正体を確かめずにはいられなかった。しかし、彼の口からは言葉が出ず、ただ沈黙の中で立ち尽くすしかできなかった。

闇の中から、一つの姿が現れた。人のようで人ならざる者。目が赤く輝き、その顔は獣のそれを思わせる。神社の伝承にある狐の姿に似ていると思ったが、より一層恐ろしい何かをまとっていた。その存在は健二に微笑みかけ、どこか親しげでありながら、計り知れぬ力を秘めているように思われた。

「願いを叶えてやろう」とその姿は囁いた。だが健二の心は、それを望むどころでなく、ただこの場から逃げ出したい一心であった。しかし、既に遅かった。彼の体は足元に生えた影に絡め取られ、思うように動くことができなかった。

「何を願うのか」と再びその姿は問いかけてくる。健二は気づいた。それはただの狐ではない。祖父が語っていた、山の神、そのものであった。山の神は人の願いを試し、叶えられるべきかを判断するという。だが一度その裁きを受けた者は、もはや元の生活に戻れぬというのだ。

拒絶する意志さえも薄らいでいく中で、健二は心の中で祈った。「どうかこの恐怖から解放を」と。しかしその願いが果たして本当に叶うのか、それは彼の知るよしもなかった。

月が再び雲間から顔を出したとき、神社は静けさを取り戻していた。健二の姿はどこにも見当たらない。村では、彼が忽然と姿を消したと騒がれるが、それも次第に過去のものとなり、忘れ去られて行った。

そして、誰も気づかぬうちに、神社の拝殿には新たに一対の石狐が加わっていた。人々はそれを見て不思議がることなく、ただ「これは神の仕業だ」と呟くのみであった。それ以来、神社には再び誰一人として近づかなくなり、妖しい静寂が続く場所として、再び時の流れに埋もれていったのである。

その山間の村では、今でも時折、風に乗って耳元で囁く声が聞こえてくる。それは、何かを求め、何かを失った者たちの声なのかもしれない。やがてそれもまた、静かに消えていく運命なのだろう。

さあ、今宵もまた神社は闇の中に沈んで行く。月明かりすら届かぬその場所で、ただ静かに次の訪問者を待ち続けているのである。いつの日か、また誰かがその神社の扉を開けるときが来るのだろう。それが善きことか、悪しきことか、それさえも、もはや誰しも知る術はないのだった。

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