むかしむかし、ある小さな村に雨の降らない季節がありました。その村はいつも晴れていて、村人たちは誰もが太陽の恩恵を受けながら暮らしていました。しかし、その村には一つだけ、誰も近づこうとしない森がありました。その森は「忘れられた森」と呼ばれ、古くから噂される呪われた場所でした。
村の娘、エルナはその森のことをいつも不思議に思っていました。彼女は冒険が大好きで、特に禁じられた場所に心をくすぐるものを感じていました。ある日のこと、彼女は友達とかくれんぼをしている最中に、ふとその森のほうへ足を向けてしまいました。「エルナ、あっちには行ってはいけないんだよ」と友達は口を揃えて言いましたが、彼女の心はもう森へと飛び込んでいました。
森に入ると、木々がささやくようにエルナに話しかけてくるのが聞こえました。「おいで、エルナ。私たちは忘れられていないよ」と。でも、彼女はなぜそんな声が聞こえるのか理解できませんでした。それでも、その声は不思議と心地よく、彼女は足を進め続けました。
森の中ほどに進むと、彼女は古びた井戸を見つけました。その井戸は長い間使われていないようで、苔に覆われ、ぽっかりと口を開けていました。「こんなところに井戸があるなんて」と、エルナは思いました。近づくと、井戸の底から再び声がします。「助けて、エルナ。私たちを忘れないで」と。
奇妙な声に導かれるまま、彼女は石ころを拾い、井戸に投げ入れました。その瞬間、底なしの闇から冷たい空気が吹き上がり、エルナは思わず後ずさりしました。「もう来てしまったのだね」と、今度ははっきりとした声が聞こえました。その声には悲しみと怒りが混ざっていました。「あなたの家族には、昔、私をこの井戸に封じ込めた罪があるのだよ。だから君には、私を解放する義務がある」
エルナは驚いて、でもなぜか納得する気持ちがありました。「どうしたらいいの?」と、恐れと興味が半々の気持ちで尋ねました。「あなたの家には、古い本が眠っている。そこに解放の呪文が書かれているはずだ」と、声は言いました。「その本を見つけ、私の魂を解放しておくれ」
それからというもの、エルナは家にあった古い書物棚を探し始めました。お母さんもお父さんも忙しくて気づきませんでしたが、エルナは夜な夜な書物棚をくまなく調べ続けました。ある日、ついに埃まみれの本を見つけました。それはとても古びていて、読むのも慎重にしなければならないほどでした。
その中にあったページに、エルナが見たことのない文字で呪文が書かれていました。「これが解放の呪文なの?」と、彼女はつぶやきました。しかし、それを声に出して読むと、家の中が急に冷たくなり、明かりがゆらゆらと揺れました。
翌日、森に戻ると井戸の前に立ちました。彼女は恐る恐る、呪文をもう一度、それも今度ははっきりと唱えました。その瞬間、井戸の中から眩い光が溢れ出し、そして何かがエルナを取り囲むように風が舞いました。
「ありがとう、エルナ」と、その声は大変満足そうに言いました。「私は自由になった。しかし、君にはこれから私の重みを感じてもらわねばならない」。その言葉とともに、エルナの体は急に重くなり、彼女はその場に立ち尽くしました。
それからというもの、村は再び雨の季節を取り戻しました。しかし、エルナはなぜか日ごとに元気を失っていきました。彼女はいつも疲れているようでした。村人たちは心配していましたが、エルナ自身もそれが何故なのか分かりませんでした。ただ一つ分かるのは、あの解放の呪文を唱えて以来、井戸の存在を誰にも話すことができなくなっていたのです。
そうして、エルナは誰にもこの不思議な出来事を語ることなく、次第に日々を送っていかなければなりませんでした。それは彼女に課せられた、過去の罪の一部を背負うという、重く永遠のように思える呪いだったのです。
村人たちは、彼女が急に元気をなくしたことを不思議に思いながらも、やがてそれを普通のこととして受け入れていきました。そして誰も再び「忘れられた森」には近づかなくなりました。いつしか、エルナの話は村の噂話にされることもなく、森は静かにその存在を続けていくのでした。それはまるで、誰も知らない間に過去の影が伸びていくように。
村には、新たな世代が生まれ、忘れられた過去は砂のように消えていく。あの古い井戸は今でも森の中にありますが、誰一人としてその存在を知りません。ただエルナがその名を知るだけにすぎません。それが村の新しい平穏でした。そして、冒険好きの新たな子供がまた、いつの日か森の奥へと足を踏み入れるのでしょうか。それは誰も、知りはしないのです。