廃墟の館と囚われの魂

閉鎖空間

冷たい風が頬をかすめる。僕はふと、誰もいないはずの古びた館の廊下で立ち止まった。灰色の壁紙は剥がれかかっていて、虫食いの跡がその場所の長い歴史を物語っているようだった。薄暗い明かりが廊下の片方の端から漏れてきて、もう一方の端は闇に沈んでいる。僕はこの館にどうして来たのか、ずっと考えていたが、何かに呼び寄せられるように訪れてしまったのだ。

閉ざされた空間にいるという感覚は、初めはほとんど無意識のうちに心の奥深くに潜んでいただけだった。だが、足を一歩一歩進めるごとにその感覚は増していき、まるで床下から這い上がってくる影のように僕を脅かし始めた。玄関の扉は重く閉ざされ、まるで見えない鎖で縛られているかのようにびくともしない。窓もまた、外の景色を拒むかのごとく、厚い埃に覆われている。

この館に足を踏み入れたときから、不思議なものを感じ続けている。音もなく舞う影たち。それらが僕を欺いて、まやかしの夢を見せているのかもしれない。しかし、恐怖が冷たい手で肌を撫でていくとき、僕は現実に引き戻される。

とある部屋の扉が少し開いているのを見つけた。中に入ると、そこにはびこる埃とカビの匂いが漂っている。家具は昔の豪華さを保ってはいるものの、時の流れの無情さをまざまざと感じさせる。僕は何かに導かれるように、部屋の中央にある小さなテーブルに歩み寄った。そこには一冊の古めかしい日記が置かれていた。

その日記を開く手が震えた。中には、この館に住んでいた人々の記録が残されている。特に印象深かったのは、ある若い女性の日記だった。彼女の名はルイーゼ。彼女はこの館で起きたことを書き残している。それは悲劇と恐怖の記録だった。

日記を読み進めるにつれ、館の閉塞した空間がどれほどの恐怖を生み出してきたのか、肌で感じ始める。ある出来事が彼女をこの場に縛り付け、その魂を長い間解放しなかった。彼女は何かに怯え、決して表には出られない何かに囚われ続けていた。

突然、耳の奥でかすかなすすり泣きの声が聞こえたように感じた。それはこことは違う世界から響いてくる。僕は立ち上がり、声のする方へと足を運んだ。手入れのされていないドアをそっと押し開けると、そこはかつての居間だった。暖炉には火が灯ることはなく、冷たい石がただ積み重なっているだけだった。その部屋の隅に、黒い影が佇んでいた。

それはまるでこちらを見ているかのように、じっと動かずに立ち、重苦しい沈黙に包まれていた。影は少しずつ近づいて来るように見えたが、僕は動けずにいた。心臓の音が耳の中で大きく鳴り響く。何か言葉を彼女にかけたかったが、声は出ない。

廊下を引き返そうとするも、足がすくんで動けなくなってしまった。館全体がまるで生きているように、僕をその中に閉じ込めて、逃げ場を遮断しているような感覚があった。空気は黙ったまま重たく、息をするたびに肺が圧迫されていく。

そして、古びた鏡に僕の姿が映る。そこに見えたのは、確かに僕の顔だが、背後にはいくつもの影が捉えられていた。彼らはまるで後ろに立ち、僕を取り囲んでいるかのようだった。その数は増え続け、やがて鏡の中は無数の影で満ち満ちていった。

意を決して走り出した僕は、気がつくと最初に見た廊下へと戻っていた。しかし、本来であれば外への道であるはずの扉は、またしても固く閉ざされたまま。何度も扉を押し引きしたが、まるでこの館自体が僕を外へ出したくないと強固に主張しているかのようだった。

絶望感から跪いてしまう僕の耳に、再びルイーゼのすすり泣く声が届く。それは誰かを求める、孤独に打ち震える者の声だった。彼女は一体、何をその魂に宿していたのか。どれほどの思いが彼女を閉じ込め続けてきたのか。

立ち上がって声のする方向へ進むたびに、足元の板がきしみ、そのたびにその泣き声が微かに強くなっていく。そしてやがて、古いカーペットの下から奇妙な文様が浮かび上がってきた。何かを封印する印のようだったが、それが意味することを知る術はない。

時間感覚を失いかけた頃、目の前にまたしても日記が現れた。そこには、館から出るための儀式について書かれていた。しかし、必要な最後の言葉が擦れて読み取れない。僕は諦めることもできず、ただ立ちすくむことしかできなかった。

闇は深まり、影はますます濃く重なるように僕を取り巻いていった。その恐怖が頂点に達した瞬間、ルイーゼのすすり泣く声が耳元で途切れた。僕の心の中だけに残ったその声は、まるで出口のない館の中で鳴り響き続ける哀しいメロディのようだった。

そして、僕はそのまま、再び無言の館に沈み込む。

**完**

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