私は、幽霊や妖怪といったものはいわゆる「作り話」に過ぎないと、ずっと思っていました。子供の頃からよく聞かされた怪談話も、そのほとんどが大げさで現実味のないもので、むしろ笑ってしまうことすらあったくらいです。しかし、あの夏の日、私はその考えを根底から覆される出来事を体験しました。
その夏、僕は大学の友人たちと一緒に旅行を計画しました。目的地は、地元では有名な山奥の廃村。特に興味を引かれたのは、その村にまつわる妖怪伝説でした。そこには、「くだん」と呼ばれる妖怪が住んでいるというのです。「くだん」と言えば、人間の頭部と家畜の体を持ち、未来予知の能力を持っているという伝説の妖怪です。普段は見ることができず、ただ災いを告げるだけだと聞いていました。友人たちは興味本位以上の感覚で、その場所に行くことを決めたんです。
その日の朝、私たちは車で出発し、山道を進んでいきました。木々が生い茂る狭い道を抜け、ついに廃村に到着しました。村は完全に無人で、荒れ果てた家屋がポツポツと並んでいました。無言の静寂と、少しひんやりした空気が漂い、なんとも言えない不思議な感覚がしました。
村を探索するうちに、古びた神社を見つけました。入口には苔むした小さな鳥居があり、その奥には風化した石像とおぼしきものが並んでいました。ここがどうやらその「くだん」にまつわる場所のようでした。友人の一人が好奇心に駆られて、石像の一つに近づきました。そっと触れると、その瞬間、信じられないことに重苦しい風が私たちの周りを急に駆け抜けたのです。
突然のことに驚きつつも、気を取り直し、その場を後にしました。しかし、その夜、私たちは逆に「くだん」と関係しているのかどうか不明な、もっと不可解な体験をすることになります。
宿泊先の古びた民家に戻った後、私たちはそれぞれが準備した夕食を取り、談笑を続けました。でも、どうしてもあの神社のことが頭から離れませんでした。そして、日が沈むにつれてその不安が強まっていったのです。
深夜、皆が眠りについた頃、私は急に目を覚ましました。そして気がついたのです。部屋の外から、低いざわめき声が聞こえてくるではありませんか。初めは風の音かと思いましたが、そうではない。明らかに人の声、いや、何かの声だったのです。恐ろしいことにその声は徐々に近づいてきました。
布団の中で固まっていると、やがて廊下を歩く音が聞こえ始めました。それは一人なのか、複数なのかわからない足音で、ズルリ、ズルリという音を立てながら、じわじわとこちらへ向かってきました。
心臓が口まで跳ね上がるくらいの恐怖を感じながら、どうにかしてその足音の正体を確認しようと、私は慎重に体を起こしました。用心深く襖の方に目をやると、明らかにそこには「何か」がいたのです。
明かりをつける勇気もなく、私はただただ息を潜めて、それが通り過ぎるのを待ちました。が、それは部屋の前で立ち止まり、低いけたたましい笑い声を上げ始めたのです。その笑い方は、人間の持つ声のそれではなく、不気味な金切声でした。
体が動かない。声も出せない。ただその場で震えていることしかできませんでした。でも、その瞬間、何かが私の中で「気づいた」ように、急にふっと視界が戻り、気が付くと部屋には誰もいなかったのです。
翌朝、友人たちに尋ねても、誰一人として昨夜の出来事に気づいた様子はありませんでした。私があまりにも真剣に話すので、怖がるどころか少し心配までされる始末です。しかし、2日目の夜、同じようなことが再び起こったのです。ただしこの時は、仲間の一人も同じ経験をしました。やはり、何かが廊下を歩いている。そして、何かが笑っている。
その夜、私たちは全員、恐怖に耐えられず、翌日早朝には村を後にしました。廃村を抜け出す際、何かが私たちを見送るような視線を感じながら、ひたすら無我夢中で車を走らせました。後になって、地元の人々に聞いたところによれば、「くだん」の伝説は実際に昔から地元の間で語り継がれてきたらしいのですが、廃村に住むという具体的な話ではなく、予言をしていたという話が多かったそうです。
ですが、私と友人が体験したあの夜の出来事は、いまだに脳裏に焼き付いて離れません。あの村には何かがいる。そう、あの「くだん」の声や姿を見たわけではないものの、確かに妖怪の一種が、あの場所にはいるのです。そして、それは私たちが「何か」に気づくことを望んでいたのかもしれません。
この体験以降、私は心から信じるようになりました。妖怪は確かにいる、と。理解しがたい、別の次元の存在が、同じこの世界の片隅で生きているのです。あの廃村で何があったのか、具体的にはわかりません。でも、その村に足を踏み入れることは、もう二度とないだろうと、今でも確信しています。あの場所が持つ不気味さと、不思議さとを一度体験してしまったために、私はどうでもいいような軽々しい気持ちで再び関わることなどできません。
一つだけ分かっているのは、この世の中にはまだまだ我々の知らない何かがあるということです。気軽に近づくことで、自らの身に何が降りかかるかはわかりませんから、「くだん」の存在を侮ることなく、敬意を持ち続けることが大切なのです。分かっているのに、見えない力というものは確実に存在する。それを感じた夏の、決して忘れられない恐怖の夜のお話でした。