私は地方都市で過ごした学生時代の友人との再会を機に、恐ろしい体験をすることとなった。それは偶然にも友人Aの実家が、私の仕事の出張先に近かったことから始まった。彼は古い一軒家に住んでおり、その家には長い間、手入れされていない庭が広がっていた。訪れた日は霧雨が降っていたが、Aは「せっかくだから家にも寄っていけ」と半ば強引に古い家へと招いてくれた。
家の中は、古びた家具が並び、何とも言えない湿気を帯びた匂いが鼻をついた。Aは「ちょっと二階を見てきてもいいか？」と言った。私は勝手知ったる他人の家ではあるが、遠慮せずについていった。しかし、彼が階段を上っていくと、私の耳元で微かに誰かの囁くような声が聞こえた。
「助けてよ…」
振り返っても誰もいない。気のせいだと思い、Aの後を追った。二階には何もない古い部屋がいくつかあるだけだったが、その一部屋に入った瞬間、奇妙な感覚が私を襲った。その部屋の一角、窓際に立った時、突然全身に寒気が走った。何かが、そこに「いる」のを感じたのだ。一人ではない、誰か見えない何かが私を注視している。
Aは何事もないかのように「あのな、この部屋、昔から幽霊が出るって話なんだ」と笑いながら言った。何でも、家族の者や訪れた人が時折、誰もいないはずの部屋から物音が聞こえてくるという。A自身はそれを何度も体験してきたらしいが、特に気にしていない様子だった。
家を出てからも、その声は耳に残り続け、何かが私の背後にいるような気がしてならなかった。出張は数日間続き、私はその間、Aの家に泊まることになった。
その夜、眠りにつこうとした時、再びあの囁きが聞こえた。「助けて…」
驚いて飛び起きると、部屋の隅に白い影がかすかに見えた。それはまるで人の姿をした霞のようだった。明らかに何かを訴えかけるように、じっとこちらを見ている。思わず目をこすり、もう一度見返したが、影は消えていた。
翌日、Aにそのことを話すと、「ああ、それはうちの先祖の霊かもしれない」と言った。かつてこの家に住んでいた女性が、何か強い未練を残して亡くなったと伝えられているという。だが、何の未練なのか、大人たちは誰も語ろうとしなかったという。
時が経つにつれて、私の中にある種の執着のような感情が芽生え始めた。それを解明せずにはいられなかった。出張中の時間を利用して、地元の図書館を訪れ、過去の新聞記事や古い書物を漁り、この家とその一帯が抱える歴史を探ってみた。
そして、ある事実にたどり着いた。この家のかつての住人の一人、若い女性が不幸な事故で命を落とした。彼女は村全体から未来を期待される人物で、恋人との結婚を控えていたという。しかし、ある夜、村を流れる川で遺体となって発見された。
それ以来、彼女の霊が幾度となく目撃されるようになったという。家の者に取り憑くこともなく、ただひたすらに誰かを求めるように…。
出張の最後の夜、私は一人であの部屋に行ってみた。どうしても彼女の声を確かめたかったのだ。部屋でじっと耳を澄ますと、私の心臓は高鳴り、冷たい汗が額を流れた。そして、再びあの囁きが聞こえた。
「助けて…私の話を聞いてほしい…」
恐ろしくも、その声には切実な思いが込められているように感じた。私は意を決して、声に耳を傾けた。すると、囁きが次第に明確に、かつて恋人に宛てられたであろう愛に満ちた言葉を囁き始めた。
「私はここにいる。この思いを忘れないで…」
その瞬間、私は猛烈な悲しみに襲われた。彼女が求めていたのは、ただ自分の存在を、思いを、誰かに知ってもらいたいという切なる願いだったのだ。
一週間の出張を終え、帰路についたが、あの声は今でも私の記憶の中で囁き続けている。私はその後、Aの家には足を運んでいないが、もしまた訪れることがあれば、彼女のために、何かを成し遂げる術を見つけたいと、そう思っている。彼女の未練が何であれ、その命を奪った暗い闇があまりにも深いことは想像に難くない。だがその闇の中にも、確かに何かを伝えようとする光があった。
