私があの出来事を話すのは、これが最初で最後になるだろう。あれからもう十年以上が経つけれど、今でも時々夢に出てくる。あの日、私たちはどこに行き、何を見たのか、正直、自分でも現実だったのかどうか、今でも分からない。だが、その違和感だけは、確かに現実としてそこにある。
あのころ、私は大学生だった。夏休みに入ったばかりで、友人の達也と二人でちょっとした山奥のキャンプに出かけた。目的地は、地元ではあまり知られていない小さな湖。地図にも載っていないようなその場所は、達也のおじいさんが昔よく釣りに行っていた場所だということで、彼から密かに伝え聞いていた。
出発の日、天気は快晴で、山の風が心地よかった。達也の運転で、私たちは車を走らせ、どんどん山道を進んでいった。カーナビには表示されない場所だったので、おじいさんから聞いた道順を頼りに、度々車を降りて道を確かめながら進んだ。
夕方近くになって、ようやくその湖にたどり着いた。周囲は緑に囲まれ、澄んだ水面が金色の陽を反射して神秘的な雰囲気を醸し出していた。こんな場所がまだ自然のまま残されていることに、私たち二人は驚いた。
その日は、キャンプファイヤーをして簡単なバーベキューを楽しんだ。日が落ちると、辺りは急に暗くなった。その静寂が不気味に思えたが、達也といることで安心感があった。夜も更け、湖から立ち上る霧が私たちを包むように広がった。その時、ふと立ち上る霧の向こうに人影が見えたのだ。
「あれ、見える?」私は達也に訊ねた。しかし、達也は「何も見えないよ」と、首をかしげただけだった。私は疲れて目の錯覚だと思い込もうとしたが、その人影はだんだん近付いてくるように見えた。確かに、誰かが立っていた。
その晩、私たちは眠りについた。何時間経ったのか、突然、私は妙な音に目を覚ました。湖の方から風に乗ってくる不規則な囁き声のようなものが聞こえていた。「誰かいるのか?」と声を掛けても、返事はなかった。達也も起こしてみたが、ただ寝ぼけているだけだった。
私はもう一度湖の方に目を向けた。すると、今度ははっきりと見たのだ。そこには白い服を着た何かが立っていて、これはもう人間のシルエットではなかった。その一瞬、目が合った気がした。そしてその後、私は途方もない眠気に襲われ、意識を失った。
次の日の朝、目が覚めた時、達也がいなかった。最初は用を足しに行ったのだと思った。しかし、どれだけ時間が経っても戻ってこない。湖の周りを探し、名前を叫び続けたが、達也の姿はどこにもなかった。
いよいよ不安になり、警察に連絡することを決意した。だが、山を降りて交番に着いたとき、私の通報は信じてはもらえなかった。「自然に迷っただけだろう」という警官の言葉に、虚しさを感じた。結局捜索は行われたが、達也はどこにも見つからず、行方不明のままだった。
それから一年が経過し、達也のことはみんなの記憶から薄れていった。私も何度もあの場所を訪れて探したが、手掛かり一つ見つかることはなかった。だが、些細な変化だけは、私の中に残った。
ある日、達也の両親が私宛に手紙を送ってきた。その中で、私は自分が何かに囚われていることに気づき始めた。手紙の内容には、「達也は見つかった。同居しているが、何かが違う」と書かれていた。そして、それ以来、達也とは決して連絡を取れなかった。彼の両親とも二度と顔を合わせることはなかった。
もし、あの時、異界に引き込まれたとしたら――。戻ってきた達也も、元の達也ではないのかもしれない。そんな考えが頭から離れなくなった。
それ以来、私は誰にも話せなかった。私が見たものが何で、達也がどこへ行ってしまったのか、誰にも分からない。ただ、今でも夜が深くなっていくとき、あの声が聞こえる気がする。そして、あの白い何かが、また私を迎えに来るのではないかと、恐怖に囚われ続けている。