# 山奥の村と「夜の儀式」の謎

風習

私はある夏、都会の喧騒を離れ、地方の小さな村を訪れることにした。この村は山奥にあり、観光地化されていないため、自然がそのまま残っている。私はそこで数週間を過ごし、心身をリフレッシュするつもりだった。

村に到着して初めに気づいたのは、その静けさと村人たちのよそよそしい態度だった。自然に囲まれた環境は申し分ないが、村人たちは私を避けるようにし、何かを隠しているように見えた。特に、私が滞在している民宿の主人も、どこか影のある表情で、目を合わせようとしなかった。

数日が過ぎた。私は村はずれの森を散策中、偶然にも古びた神社を見つけた。神社は雑草が生い茂り、長らく人の手が入っていない様子だった。それにもかかわらず、不思議なことに、その神社を取り巻く雰囲気は、どこか魅力的でありながら不気味だった。内心の好奇心に突き動かされ、私は神社の内部を覗いてみることにした。

神社の奥には、小さな社があり、その中には奇妙な彫刻が祀られていた。何者かの顔を模したかのようなその彫刻は、どこか人間離れしているが、それでも人間の感情を表現しているかのような出来栄えであった。不安ながらも興味を引かれた私は、その場でしばらく佇んでしまった。

その後、民宿に戻った私を待っていたのは、宿の主人の険しい表情だった。「神社に行かれたのですか?」まるで私の心を読んでいるかのように尋ねられたとき、私はなぜか躊躇してしまった。しかし、嘘をつくこともできず、正直に答えた。主人は深いため息を漏らし、「あそこには村の掟があります」と説明し始めた。

この村では、毎年特定の時期に”夜の儀式”と呼ばれる儀式が行われ、村人全員がその場に集まり、特定の祈りを捧げるという。この儀式は何百年も前から続いており、その由来は不明だ。だが、村人たちには知らないでは済まされない重要なものらしい。なぜなら、その儀式に参加しないと、村全体に不幸が訪れると信じられているからだ。

その夜、私は寝付けず、外からかすかな歌声が聞こえてくるのに気づいた。その声は、不規則なリズムで、どこからともなく響いてくるようだった。私は窓から外を覗くと、村のあちこちで明かりが灯され、人々が何かを始めている様子が見えた。直感が私に、それが例の「夜の儀式」であることを告げた。

翌日、再び神社を訪れると、祭壇には何らかの供物が捧げられ、昨晩の儀式の名残が感じられた。しかし、それ以上に不思議だったのは、その神社の周囲を取り囲むように「誰も近づくべからず」との立て札が新たに設置されていたことだ。なぜ、外からの訪問者をここまで警戒するのだろうか?

疑問は深まるばかりだった。私は村の古老を訪ね、詳しい話を聞くことにした。彼は快く私の質問に答え、夜の儀式が如何に村の生活と切り離せないものかを語った。そして、最も興味深いのは、その儀式が「異界との境を閉ざすため」に行われるということだった。「異界とは何ですか?」と私は尋ねたが、古老は言葉を濁し、「詮索しない方が良い」と私を諭した。

果たして、儀式の目的は本当にそうした意味なのだろうか?私はこの謎を追い続けたが、村を去る日が近づいてきた。出発前、心残りの中で再び神社を訪れた私は、そこで思いも寄らない光景を目にした。

神社の前で、村人たちがまた集まっていた。その彼らの眼差しは、奇妙なほどに一致しており、私を威嚇しているようでもあった。その時、急に体が重くなり、視界が歪む感覚に襲われた。何かが私を覆い尽くす、と瞬間的に感じた。そして、気を失った。

目が覚めたとき、私は民宿の部屋の中に戻されていた。すでに朝だった。主人は心配そうに私を見つめ、村から早く離れるよう告げた。私はその忠告に従い、準備をして村を後にした。

後日、私は専門家に村での出来事を相談した。彼によれば、その村では古くから「奇怪な伝承」があり、「夜の儀式」はその伝承を封じ込めるためであり、特に外部の者が関与することで伝承が活性化することがあるらしい。私の体験も、その一環だったのかもしれない。

こうした風習が現代においてどのような意味を持つのかを理解することは難しい。しかし、村での出来事は、理屈では説明できない未知の力が存在することを否応なく実感させた。

私はあの神社の彫刻を思い出す。あの顔はただの彫刻ではなく、何かを封じる”目”の役割を果たしていたのではないか。あの直後、私は背筋を冷たい風が吹き抜けるのを感じた。そしてその”目”は、今でも私を見続けているような気がする。

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