私は、大学生の頃に経験した、今でも忘れられない恐怖体験を語ろうと思います。その時のことを友人に話すだけで、体の芯から冷たくなるような気持ちが蘇ってくるのです。
その頃、私は歴史サークルに所属しており、週末にはメンバーと共に地方の神社や寺を訪ねていました。地方には、ガイドブックにも載らないような古い神社や廃寺が多く、私たちはそれらを発見するのが何よりも楽しかったのです。その日も、サークル仲間の一人から「面白い場所がある」との情報を得て、山奥にある廃寺を訪れることにしました。
その廃寺は県境近くの山中にあり、一般道路から少し離れたところに存在していました。「ここに存在する理由があるのか?」と疑問に思うような立地でしたが、逆にそれが私たちの探求心をくすぐりました。
到着したのは、午後3時を過ぎた頃でした。山道を歩いていると、徐々に空気がひんやりとしてくるのが感じられました。空はどんよりと曇り、ただならぬ予感を感じつつも、私たちは進むことにしました。道中、鳥の鳴き声さえも聞こえず、ただ静寂が支配していました。
しばらくすると、木々の隙間から古びた鳥居が見えてきました。そこには、まるで「ここから先に進むな」と言わんばかりの不気味さが漂っていました。しかし、私たちは好奇心に駆られ、一歩一歩と鳥居をくぐって中へと進んで行きました。
寺の建物はかなり古く、瓦は落ち、壁は朽ち果てており、誰も手入れをしていないことが明らかでした。まるで時間がここだけ止まっているかのような感覚に陥ります。敷地内には、苔むした仏像や、今にも倒れそうな石灯籠が点在し、その全てが荒廃した雰囲気を強調していました。
寺の本堂の前に立ち止まった時、私は背筋に冷たいものを感じました。突然、何かに見られているような感覚が走ったのです。他のメンバーも同様に不安そうに周囲を見回していました。何も見えないはずなのに、何かがそこにいると確信してしまうほどの奇妙な感覚でした。
そして、ある瞬間、空気が変わりました。まるで風が吹き始めたかのように、周囲の木々がざわめき出したのです。何もないはずの場所から、かすかに誰かのざわめきが聞こえてくるようでした。その声は次第に大きくなり、私たちの耳を打つほどに鮮明になっていきました。
その声はまるで、複数の人々が囁くような不気味な調子でした。「ここは、触れてはならない場所…」その言葉が私の頭の中で何度も反響しました。
パニックになりかけた私たちは、すぐにその場所を離れることに決め、足早に戻ろうとしました。しかし、どういうわけか鳥居までの道がわからなくなってしまったのです。あんなにも一直線で単純な道だったはずなのに、気づけば同じ場所をぐるぐると回っているようでした。周囲の木々は変わらず佇んでいるのに、私たちだけが迷子になったような感覚。恐怖が一気に体を支配しました。
その時、背後から足音が聞こえてきたのです。振り返ると、遠くに白い服を着た女性のような影が見え隠れしていました。私は目を疑いましたが、他のメンバーもそれを見たと口々に言い出しました。誰なのかはわかりません。生きている人間なのかすら疑わしい存在でした。
私たちは、もう恐ろしさのあまり何が起きているのか判断がつかなくなり、無我夢中で走り出しました。やがて鳥居をくぐり抜け、ようやく元の道に戻ることができたのです。
車に戻った時、やっと安心したと同時に、何もかもが現実ではなかったのでは、と思うほどの非現実感が押し寄せてきました。それでも、車内の安堵感は格別で、誰一人として声を上げることなく、ただ山を下るのみでした。
それからというもの、私は二度とその廃寺を訪れることはなくなりました。あれが一体何だったのか、何を見たのか、今もわからずにいます。ただ一つだけ確かなことは、あの場所は「触れてはならない聖域」であるということ。それを確信させるには、私たちが体験した恐怖は十分すぎるものでした。
私にとっては、それ以来、山間の古い神社や寺を訪れることに対して、自然と敬意と畏怖の念を抱くようになりました。日本の地方には、まだまだ謎めいた場所が存在しているのかもしれません。そして、それらには、私たちが触れてはならない何かがあるのでしょう。
この話を聞いているあなたも、もし同じような場所に行くことがあれば、その場の空気や雰囲気に敏感になってください。何か不自然さを感じたら、それは先人たちが残した、ここに居るべきではないという無言の警告なのかもしれません。