山に潜む妖怪の記憶

妖怪

私は田舎の小さな村で生まれ育った。山に囲まれたその場所には、子供の頃から様々な妖怪譚が息づいており、夏になると祖父母が語ってくれる怖い話に耳を傾けたものだ。その土地に浸るほど、妖怪たちは現実に存在しているような錯覚を覚えた。

私は大学進学を機に都会に出たが、卒業後再び故郷に戻り、地元の中学校で教師として働いていた。村は昔と変わらぬ姿を保っており、どこか懐かしくも安全な場所というイメージがあったのだが、そこでの出来事が私のその考えを根底から覆すことになった。

ある夏の日、二年生のクラス担任をしていた私は、クラスの数名が度々遅刻や欠席を繰り返していることに気づいた。彼らに問いただしても、はぐらかしたり、風邪をひいたと言い訳をするばかりで、原因を特定することができなかった。ある放課後、一人の生徒が内気そうに私に話しかけてきた。

「先生、あの……友達のことなんだけど……夜、学校の裏の山の方で変なものを見たって。」

その一言に、私は興味を引かれた。子供の頃から人づてに聞いていたその山には、夜な夜な妖怪が出るという伝承がある。もちろん、その噂はただの昔話かと思っていたが、妙な胸騒ぎがした。そこで、その生徒と話を進めることにした。

彼によれば、夜中に学校の裏山で何か動くものを見かけたというのだ。詳細は不明だが、それは人の形をしていたという。だが、暗闇の中でそれを見た友達は恐怖のあまり動けず、その後しばらく寝込んでしまったとのことだった。

その夜、私はどうしてもその裏山に行ってみたくなった。何かあるかもしれないと好奇心が勝ち、懐中電灯を手に一人で山に向かった。夜風が肌寒く、辺りは静寂に包まれていたが、木々のざわめきが奇妙に耳に届いて不気味さを増していた。

山の中腹まで来たところで、私は妙な違和感を覚えた。ただの生い茂る木々の間に、かすかに揺らめく影が見えたような気がしたのだ。一瞬、懐中電灯を向けてみるが、何も変わった様子はない。ただの自然の影かと自分に言い聞かせ、進むことにした。

さらに奥へと進むと、風と共に何か音が聞こえてきた。それは、微かであるが確かに人の声のようだった。耳を澄ませると、か細いがどこか哀しげな声が響く。かつて、祖母から聞いた話を思い出す。あの山には人の魂を捉える妖怪が潜んでいると。私は鼓動が早まるのを感じつつも、その声の方向へと進んだ。

森の狭間、ふと足を止めた瞬間、すぐ横の茂みから人の顔が半分だけ覗いているのを見た。それは異様に細長く、目だけが異様に大きい。驚いて後ずさった瞬間、その顔はふっと消えた。夢か幻か、だが確かに見た。冷や汗が全身を荒らし、私はその場を離れようと踵を返した。

山を後にする帰路、背後でさらなる囁き声が聞こえた。その声は次第に大きくなり、耳元で何かを囁くほどに迫ってきた。理解できない言葉、しかしどこか懐かしさを感じる、不思議な響き。振り返る勇気もなく、私は足早に家へ帰った。

翌日、私は学校でそのことを話すべきか迷った。現実に起こったことなのか、ただの夢として片付けてしまうべきなのか。しかし、私の態度を見て察した生徒たちが、徐々に口を開くようになった。「あの顔を見た」「あの声を聞いた」といった証言が次々と出てきたのだ。

校内でそんな噂が広がると、地元の村ではしばらく厳戒態勢が敷かれた。夜に出歩くことは控えるようにというお達しが出たが、それが村の不安を煽る結果にもなった。

数日後、地元の神社でお祓いが行われ、村人たちは参集した。神主が妖怪を祓うための儀式を行うと、不思議とそれ以来、生徒たちの噂も次第に消え、日常が戻ってきた。

やがて、私もその出来事を忘れかけていたが、ある雨の夜、家の窓にふと目をやると、あの細長い顔が一瞬映って消えた気がした。鳥肌が立つのを感じ、すぐにカーテンを閉めた。

それ以来、私は二度とあの山には近づかないことにした。ただの村の伝承に過ぎないと思っていた妖怪たちだが、彼らは確実にそこにいて、ひっそりと人間の生活を見つめているようだった。

誰にも話すことはないが、その記憶は今でも鮮明であり、決して消えることはないだろう。私の村には、まだ語られていない物語があるのかもしれない。

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