高校三年生の夏休みのことでした。私たちは部活の合宿で、とある山奥のキャンプ場へ出かけました。東京から車で約三時間、舗装された道路を外れ、細い山道を進むと現れるその場所は、普段の喧騒からは想像もつかない静けさに包まれていました。
キャンプ場自体は非常に古びていて、管理人は近くの村に住むおじいさんが一人。彼はその土地の歴史や、昔から語り継がれる奇妙な伝承についてよく話してくれましたが、私たちにとってはどれもただの昔話にしか思えませんでした。特に興味を引かれることもなく、私たちは日常のように合宿を楽しんでいました。
その日も練習を終え、キャンプファイヤーを囲んでいると、一人の部員が「この近くにある神社に行ってみよう」と言い出しました。それはキャンプ場から少し離れた山道を進んだ先にある古びた神社で、地元ではあまり近寄らない場所だと聞かされていましたが、私たちにはちょうど良い肝試しの場に思えました。
興味を持った数人が、懐中電灯を持って神社へと向かいました。私もその一人でした。道中、夜の森は不気味なほど静かで、私たちの足音だけが響いていました。スリルを紛らわすために、誰かが昔の怪談を話し始めたのを覚えています。笑い声を浮かべながらも、心のどこかで不安が募っていくのを感じていました。
そして、ついに神社に辿り着きました。入り口には苔むした鳥居があり、そこを越えると急に冷たい風が吹き抜けました。そんな中、一人の部員、田中が突然こんなことを口走りました。「この中に入ったら何かが見えるらしい。」軽い気持ちで彼は鳥居をくぐり、神社の奥へと進んでいきました。私たちも後に続きましたが、何度か呼んでも彼の応えはありません。
暗闇の中、田中の姿が見えないことに気づいた私たちは、懐中電灯で辺りを照らし、彼を探しましたが、どこにも見当たりません。時間だけが不気味に過ぎていき、私たちはやむを得ずキャンプ場に戻る決断をしました。皆、奇妙なほど無口になり、重苦しい沈黙に包まれていました。
キャンプ場へと戻り、私たちはすぐに管理人のおじいさんと顧問の先生にことの顛末を話しました。しかし、その話を聞く彼らの表情が徐々に曇り、不穏な空気が漂い始めました。
翌日、地元の警察が捜索を開始しました。私たちも手分けして田中を探しましたが、結局、彼の痕跡は何一つ見つからず、行方不明として処理されることとなりました。キャンプは中止となり、私たちは帰京することになりましたが、この事件が心に重くのしかかるのを感じていました。
数週間後、奇跡的に田中が戻ってきました。真夏の日差しの下、彼は学校の校門に立っていました。しかし、その顔はどこか別人のように見え、目に光がなく、独特の違和感がありました。「あれは俺じゃない」そんな気配をまとっていました。
田中自身は「何も覚えていない」と繰り返し話すばかりで、自分がどこにいたのかも、何をしていたのかも全く知らないと言っていました。まるで彼の中の時間が消え去ってしまったかのようでした。
彼が戻ってきたことで、喜びを分かち合うかと思いきや、周囲の空気は冷えたままでした。彼の存在が、かえって私たちに得体の知れない恐怖を与えているのです。その後、彼は次第に学校を休む日が増え、最終的には転校してしまいました。
あの神社で何が起こったのか。そして田中は何を見たのか。それらは今も私たちの間で語り継がれる謎です。あの夜、神社で田中が消えた瞬間、何かが彼を連れて行ったのかもしれません。そして、それは私たちに見せなかった何かを、田中にだけ見せていたのかもしれません。
それ以来、夜のキャンプや山奥の神社へ行くことは避けるようにしています。あの場所が何かを潜ませているのだと考えると、どこにもいるかもしれないそれを意識せざるを得ないのです。何が起こったのか、知る由もありません。ただ、忘れられないのです。あの時の静寂と、田中の「何かが違う」姿を。