夢と現実の狭間で囁く声

心霊体験

風の音、夜の帳に揺らめく影、夢の狭間に囁く声。それは、ある夏の終わりのことだった。蒸し暑い夜に窓辺を一人占め、風の通う部屋で私は佇んでいた。木々の揺れる音が低く耳に染み込み、何とはなしに心がざわめく。それは日常の風景、いつもの夜の、変わらぬ静けさの中で静かに訪れた。

時計の針は夜半を指し、人影はどこにもない。それゆえに、何故、少しの重みとともにあの足音が響いたのか、今でも思い出すたびに不思議で仕方がない。まるで大気の中に溶け込むように、靴底を引きずるその音は、自分の耳だけにだけ囁く秘密めいた合図。その瞬間、空気の密度が変わるのを感じた。部屋の隅に何かがある。見えないけれど確かな存在が、じっと息を潜めている。

視線は、自然と部屋の最奥に引き付けられる。決して動かないはずの暗がりが、微かに揺れていた。そこに、生温かい風が吹き込む隙間があるわけでもないのに、不意に影が伸び、天井まで達した。天井のシミが、朧げな顔のように見える。見つめれば見つめるほど、その輪郭は明瞭さを帯び、時折眼が合う錯覚に捕らわれる。何かがそこからこちらを見つめている。それは次第に濃さを増す靄、視界の中でも特に濃く、粘り強く残る影となった。

言葉は何一つ交わさずとも、確かに私に語りかけてくる音がある。耳鳴りのような、心の深部で反響する声が、「探し者はここにいる」と告げているかのように。一歩、また一歩と音は近づく。壁の裏を擦り抜け、床の下を這い回るように、ずっとそばで囁いている。その声の起源を追うことも、どうにもできないまま、ただ蝕まれていくばかり。

階下の間、私はふと足を止める。そこは、家族が集う暖かい場であるはずの場所。それでもいつからか、その場に立つことが息苦しくなってしまった。今や、壁を撫でるように過ぎる風の中に、悲しげな旋律を聴く。あれほど耳慣れた風景が、遠のくこともまた恐ろしく、その日は繰り返しぶり返す寒気に耐えることしかできなかった。

そして、夜の張り詰めた中で、あの声は再び現れた。それは、誰彼構わず響くものではなく、至って密やかに囁かれる私だけの呪詛。夢と現の境を縫うようにして、どこか遠くから舞い戻ってくる咽の声に似ている。この声の行き着く先に、一体何が待ち受けるのか、それを知るすべはない。それだけが、すべての終わりと同時に、新たな始まりを告げていた。

何がしかの感情に操られ動き出したその瞬間、廊下の薄闇から手が伸びてきた。それを幻覚と片付けることもできず、触れることも叶わない手。まるで、私自身の過去の影を追い求めるかのごとく、その指先は触れそうで触れず、掴めそうで掴めない幻を掬い取る。目を開けると、その手は消え去ったように見えた。しかし、目を閉じると、またそれがすぐに、闇の中から立ち上がってきた。

時を経て、その不思議な感覚は側に留まり続けていた。風の音に包まれ、夜の帳は再び降りてくる。あの手は、遠くから何かを求めるように伸びてくるまま、未だ私を離さない。耳を澄ませば、漆黒の彼方から囁く声が次第に近づき、「探し者はここにいる」と告げている。部屋の淵に座す者が微かに動き出し、また私に向かって手を差し伸べる時、私はもうどうすることもできず、ただその呼び声に応じるしかないのだ。

心の深海に降り立ったその日、私は一抹の怯えと共に、彼らの呼び声を受け入れることにした。それはすべて過ぎ去りし記憶の中で渦巻く、何処にも置き去られた痕跡。現実と幻想の錯綜した中に再び佇むことで、その声はより一層鮮烈に響き渡り、私を取り囲むものの正体を告げようとしている。ただ、私は知っている。いつかそれさえも、やがて薄れ行くひとつの音に過ぎないことを。それに振り返ることなく、ただ受け入れることで、その呪縛は解けることなく永遠に続いてゆく。

夢か現か、今も問い続けている。果たして、それがいつの間にか、私自身の声となり得たその不思議な夜の出来事を。ろうそくの火が消える前に、目を閉じることにしよう。あの声が今もどこか遠くで、永劫の沈黙を告げる翼の如く、再び帰り来ることを待ちながら。

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