かつて静かにたたずむ山間の村に、美しい山間の風景と共に、その土地に古くから続く不気味な伝承が伝わる古びた神社があった。この神社は、村の外れにひっそりと座し、長い年月にわたり訪れる者なく、木漏れ日が影を作る中で苔むした石段を、秋の枯れ葉が風に舞って駆け上がる。鳥居を潜ると、そこにはひんやりとした空気感が漂い、参道の先にある社殿が、封印された静寂の中に身を潜め、誰にも知られることのない秘密を抱え続けていた。
村人たちはこの神社を畏れ、近づくことを避けていた。その理由は、神社の奥深くには、ある悲劇が眠っているという言い伝えにあった。それは百年前のことである。村に住んでいた一人の巫女、名を美津子といった。彼女は美しく、また伽羅のごとき香りを纏っていた。村の誰もが彼女に尊敬の念を抱き、神社の祭事を取り仕切る彼女を誇りに思っていた。しかし、彼女の運命はある一人の男、俊介と出会うことで変わっていく。
俊介は異国より来た奉公人で、その才気あふれる眼差しと、異国の魅力を纏った顔立ちが村の娘たちを魅了していた。美津子と俊介は次第に惹かれ合い、互いの思いを交わすようになった。しかし、それを快く思わない者もいた。それは、村の権力者である庄屋の息子、吉村であった。彼は美津子に熱烈な想いを寄せていたが、彼女が自分ではなく、異国の血を引く俊介に心を許していることに、激しい嫉妬を覚えるようになった。
ある夏祭りの夜、吉村は遂に計画を実行に移す。狂気に駆られた彼は、美津子を神社の奥の社殿へと誘い込み、彼女に八つ当たりの報復をしようとした。しかし、そこに突然俊介が現れ、美津子をかばおうと吉村に立ち向かった。壮絶な争いの末に、吉村は命を落とし、俊介は美津子を守るためにその現場を去り、永遠と葬られることのない呪いの幕が引かれた。
しかし、その夜以来、美津子の姿は村から消え、村人たちは彼女の行方を知らぬまま、数か月を経てから神社の境内で見つかった彼女の無惨な遺体に恐怖した。彼女は、俊介を守るために死を選び、その場に自ら命を絶ったのだった。村人たちは美津子が神の怒りに触れたと畏れ、彼女の霊魂がいつまでもその場に留まっていると噂し、この神社を「哀の杜」と呼ぶようになった。
年月が流れ、神社はさらなる静寂に包まれたまま、誰も訪れることのない禁断の地と化していった。それを時折訪れる者がいるとすれば、それは恐れを知らぬ近隣の若者たちの肝試しに過ぎなかった。しかし、ある晩、好奇心に駆られた若者たちが、とうとうこの神社に足を踏み入れた。
彼らは明かりを手にしつつ、不安と興奮の入り混じった気持ちで石段を進み、やがて社殿の前に到達した。そして、権現堂の扉を開け放つと、中から漂う不吉な気配に、一同はたじろいだ。微かに漂う伽羅の香り、それは今まさに、この世を取り巻く世界とは別の、静止した時間の中に足を踏み込んだことを告げる合図であった。
若者たちは恐れを抑え、中に足を踏み入れるが、その時、社殿の隅に佇む白い影を見つける。白い衣をまとったその姿は、ひっそりと彼らを見つめ返した。彼女の目には涙が浮かび、その口元は、静かに何かを語ろうとしているように見えた。それは、未だ美津子の魂がこの場所に囚われていることを示唆していた。
その瞬間、若者たちの中の一人、田中という小心者が、恐怖に駆られた彼の心が見た幻影を振り払い、仲間を置き去りにして走り去ろうとした。しかし、彼が背を向けたその瞬間、どこからともなく風もないのに髪を乱すような冷たい風が彼の背を押し、何か見えない力が彼の心を動かした。「逃げてはいけない、彼女は真実を求めている」と彼の心は叫んでいた。
戻ることを決意した田中は、再び足を止め、その場に立ち尽くした。彼の恐怖を感じ取った美津子の霊は、微かな微笑みを浮かべると、そのまま静かに消え去った。彼女はやっと、長い間囚われていた忌まわしき過去から解放され、穏やかな眠りに就いたのだ。
田中はその後、村に戻り、他の者たちと共にこの神社を訪れることは二度と無かったが、美津子の霊が未練を断ち切り、成仏したという噂が広がることで、村人たちは次第に平穏を取り戻していった。
かつての惨劇の舞台となった哀の杜は、再び長い歴史の中に静かにその姿を隠し続け、時折風の音に耳を澄ませば、伽羅の香りと共に語り継がれる過去の物語が小さく響くのみである。しかし、それは確かに、悲しみと未練によって織りなされた幽霊譚として、今なお人々の記憶を鮮やかに揺るがし続けている。