呪縛の神社: 田中が見た鏡の怪奇

違和感

山間の村には、訪れる者の少ない古びた神社があった。苔むした石段を上り詰めると、そこには長い間手入れされていない木造の拝殿が、静かに佇んでいる。村人たちはこの神社について、語ることを避けるようにしていた。特に口伝されるのは、「訪れる者は必ず何かを引きずって帰る」という噂だった。

ある晩、都会からやってきた若い写真家の田中は、村の風景を撮影するために滞在していた。静寂を好む彼は、周囲の景色に心を奪われ、村の神秘的な雰囲気に強く興味を持った。村人からその神社の話を小耳に挟んだ時、彼の好奇心をくすぐる何かがそこにあることを直感で感じていた。

ある雨上がりの午後、田中はその神社を訪れることに決めた。村の人々の慎重な視線を背に、彼は神社への小道を進んでいった。空気はしっとりとしており、道の脇には青々と茂った草木が密集していた。まるで何かが彼を見守っているような気配を感じながら、その古びた石段を上がっていった。

やがて神社にたどり着くと、その静けさに背筋が震えた。拝殿は朽ちかけていたが、何かしらの存在感を放っている。誰もいないはずなのに、視界の端で何かが動いたように錯覚した。彼は深呼吸をし、その気配を振り払った。

田中はカメラを取り出し、シャッターを切り始めた。レンズを通して見る神社は、どこか目に見えない歪みを持ち、それがかえって不思議な魅力を放っていた。しかし、シャッターを切るごとに鳴る機械の音が、次第に彼の耳に妙な響きを持ち始める。まるで別の場所で、別の時間で、誰かが同じシャッターを切っているかのような共鳴音。それが次第に気味悪くなり、田中は一度カメラを下ろした。

そのとき、拝殿の奥から微かな音が響いてきた。それは木の軋む音か、あるいは誰かのため息か。田中は思わず、音の方へと足を向けていた。苔むした石畳をゆっくりと歩き進めると、奥まった場所に小さな扉を見つけた。好奇心が勝り、彼は扉を開いた。

中は薄暗く、小さな祭壇のようなものが置かれていた。その台座の上には、古びた鏡が据えられている。彼は思わずその鏡を覗き込んだ。鏡の中には自分自身の姿が映っている。しかし、その目はどこか他人のもののようで、異様な違和感を田中に抱かせた。ぞっとして顔を背けるが、視界の端に残った自分の目が、消えない影のように頭の中にこびりついていた。

神社を後にした田中は、宿へと戻ったが、その夜は何かに囚われたような不安な夢を見た。その夢の中でも、何度もあの鏡に映る自分の目が現れ、その目は次第に彼自身のもではないような、不気味な生気を宿してきた。

翌日、田中は気分転換に村を離れることにした。町に戻る途中の道で、不意にすれ違った見知らぬ人に、昨日神社で見た自分の目の中にあったのと同じ生気を感じ、一瞬立ち止まった。その人物は一瞬こちらを見たかと思うと、無表情のまま通り過ぎていった。

田中は一層不安に駆られ、慌ただしく歩き始めた。しかし、村を離れる前に、彼の中に奇妙な変化が起こり始めていることに気づいた。人々の顔に自分が近くなると、まるである種の既視感が蘇る。それはその人々が自分の知っている誰かであるかのような不気味な感触だった。

都会に戻った田中の心の中には、あの日神社で見た目が棲みついてしまった。それは彼の視界に現れる人々の視線に影を落とし、彼の行動を徐々に支配していった。何気なく電車の窓を見ても、そこにはあの日神社で見た鏡のような何かが再び彼を見つめ返してくるようで、心安まることはなかった。

それから日々が過ぎても、田中の中で膨れ上がる得体の知れないものは消え去ることがなかった。そしてある日、彼は再び山間の村を訪れることを決意した。もう一度あの神社を訪れ、その原因を突き止めることができれば、この呪縛から解放されるのではないかと考えたのだった。

再び村に入ると、村人たちは露骨に彼を避けるようにしていた。彼が訪れたことすら言葉にしないようにしているかのようだった。神社への道をたどり、あの日の石段を上がっていくと、奇妙な既視感が彼の中に甦る。空間そのものが微かにねじれているように感じられ、彼は再び古びた拝殿の前に立った。

田中は恐る恐る、再びあの小さな鏡の前まで歩んでいった。そして、その鏡を除くと、そこにはすでに”自分”が姿を変えていた。鏡に映るのはもう彼ではなく、まったく見知らぬ者の顔がそこにあった。しかし、不思議とその顔は、彼の内面の淀みをすべて映し出しているかのようで、彼はそのまま目を逸らせなくなった。

その瞬間、鏡の中の存在が微笑みかけ、彼の意識は暗闇に沈んでいった。それからというもの、田中の姿を見た者は誰もいない。ただ、彼が村に残した写真だけが、まるで何者かの視線を宿しているかのように、彼の留守を代弁していた。その写真に写る景色には、見る者すべてに、何かが決定的に”ずれている”という感覚を与える影が宿っている。

こうして、村の神社の秘密は、また一つ新たな語りを持って人々の陰で囁かれることになり、時おり村を訪れる者たちを、もてあそび、不安に陥れていくのだった。

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