冷え冷えとした秋の夜半、月は雲間に顔を覗かせ、地上の薄気味悪い影を際立たせていた。薄暗い田舎道を歩く一人の男、彼の名前は和也。過去の因縁が彼をこの土地に引き寄せたかのようであった。
和也は都会での日々に疲れ果て、静寂を求めて祖父の故郷であるこの小さな村を訪れていた。しかし、この村には噂が絶えなかった。幾度となく消失したとされる神社、関わった者には必ず不幸が訪れるという古代からの呪い。祖父のアルバムには、けして和也の知り合いではありえない人々が神社の前で写真に収められていた。奇妙なことに、アルバムの背後には一面に蔦が絡んだ鳥居だけが写っているものが多く、そこにあるはずの本殿はどの写真でも影さえも見えなかった。
ある日、和也は興味本位でその神社を見つけようと思い、村人に話を聞いた。「あの神社は人を惑わす。探すだけでも命を奪われる。それでも行くか?」年配の村人は意味深な言葉で答えたが、和也は笑って聞き流し、日が暮れる前に山道に向かって歩き出した。
途中、ふと気づくと道沿いにぽつりと一本、古びた石碑が立っていた。「ここまで来た者は戻るべし」石碑にはそう刻まれている。和也はその警告を一笑に付し、さらに奥へと足を踏み入れていった。道は次第に険しさを増し、雑木林が視界を遮る。やがて道に迷ったことに気が付いた彼の頬を、冷たい風が冴え渡る刃のように切り裂いた。
薄暗い森の中、一筋の光が和也の目の中に飛び込んできた。小さな草むらの中に、古ぼけた祠が立っている。鳥居は朽ち果て、今にも崩れ落ちそうな有様だったが、不思議とあのアルバムの写真の通りに見える。和也はそこに立っていることに心の底から不安を感じながらも、なぜか眼を離せなくなる。ふと耳を澄ますと、遠くから聞こえる鈴の音が寒々しい空気の中を響いた。
その瞬間、視界がぼやけ始め、どこからともなく声が聞こえてきた。「彼を導くのは、お前だ…」和也は恐怖に打ちのめされ、数歩後ずさりする。そのとたん、彼の背後から冷たい手が伸び、肩を掴まれた。驚いて振り返ると、そこには見覚えのある顔、だが確実に見たことのない男が立っていた。目は虚ろに空を見上げ、苦しげに口を動かそうとするも音はでない。
和也は叫び声を上げ、振り切るようにしてその場を離れる。振り返ることなくただ目の前の小道を駆け抜け、やがて元の村へと戻った。村には相変わらず何の変化もないように見えたが、ふと街角の鏡に映る自分の顔には驚愕せざるを得なかった。目の奥には見知らぬ誰かの影、そして胸にはいつの間にか黒い印が一つ、燃えるように刻まれていた。
村に戻ってからというもの、和也には奇妙な現象が次々と襲い掛かった。夜ごとに鈴の音が押し寄せ、誰もいないはずの家の中で微かな囁きが聞こえる。「帝は封じられた…再び灯を取り戻せ…」そんな言葉が夜毎に耳に届き、和也の精神を深く蝕んでいく。
ある晩、彼はとうとう夢の中で、あの神社の前に立つ自身を見た。目の前には昔ながらの神官の姿。彼はじっと和也を見つめ、痛切な声で言葉を紡いだ。「君は選ばれし者、古き神を解き放つために…罪は受け継がれねばならぬ…」目が覚めた時、背中には冷や汗が流れていた。
和也は祖父が言っていた言葉を思い出し、古い記録を探ることにした。あの神社には、かつて悪しき力を封じ込めるための儀式が行われ、神官がその体を捧げたとされている。そして、その力を継いだ者には不幸が降りかかる。呪われた血筋、その最期の者は和也自身であったのだ。
日が経つごとに、和也の周囲の人々もまた、不幸に見舞われていった。親しい友人が急病で倒れ、和也の身近な場所で事故が頻発する。彼の中で何かが崩れ始めていた。恐怖と罪悪感が交錯し、やがて彼はこの呪いを解く方法を渇望するようになった。
心の中で何かに呼ばれるようにして再びあの神社に向かい、鳥居を越えた。その先には見たこともない美しい光景が広がっていた。本殿は黄金に輝き、見知らぬ神官が和也を待っている。「全てを終わらせるには、自らの命を捧げよ」そう告げられた和也は、全てを悟った。彼は己の血が持つ力を理解し、最後の役割を果たすべく、身を投げ出した。
そして、長い月日が経った後、その土地には何の痕跡も残らず、再び木々が繁り新たな命が息づいていた。和也の物語は誰にも語られることなく、呪いと共にその地に消えていった。それはまた一つの神話となり、彼を知る者もなく、ただ静かに風が吹き抜けるのみであった。