呪われた杉と村の過去

呪い

村の片隅にひっそりと佇む古びた神社。誰からも忘れられたその場所には、決して踏み入れてはならないとされる禁足地があった。神社の奥には毒々しい緋色を纏った杉の木が立っており、その木は「呪いの杉」と呼ばれていた。村の者は皆、この杉の名を耳にするだけで息を呑み、目を伏せた。まるで、その名を口にするだけで不幸が訪れるかのように。

その伝承は、遥か昔のある出来事に起因している。彼の地に住んでいたある樵が、無惨にも殺され、その死を契機に村には不吉なことが起こり始めた。樵は生前、妻子を残し、森の中で過酷な労働に従事していた。しかし、ある嵐の夜、彼は帰らぬ人となった。次第に村人たちは、樵が憎しみのあまり死んでなお呪いをかけたと噂し始めた。

そして現代。都会の喧騒から逃げるようにして、この村に越してきた青年、信一。彼は都会での仕事に疲れ、心機一転、静けさを求めてこの山村を選んだのだった。しかし、静寂は確かにあったが、それ以上に不気味さもまとっていた。杜撰な作りの古い民家に宿り、壁にはひび割れ、床は軋み、夜になると外から不気味な風の音が聞こえた。

ある日、信一は村を散歩しているうちに、ふとその神社に魅かれた。鳥居をくぐると、木々の間から差し込む斜陽が不気味な影を作り出していた。境内は何年も人の手が入っていないように荒れ果てていたが、それに逆らうかのように中央の杉の木だけが不自然に生気を帯びて立っていた。信一はこの木にある一種の異様な魅力を感じ、そのままにしておくことはできなかった。

―何かが呼んでいる。

そんな気がして、信一は杉の木に近づき、幹に手を触れる。その瞬間、彼の脳裏には凄まじい痛みが走り、ヴィジョンのようなものが見えた。血まみれの斧、暗い森の中で荒ぶる何者かの影、目を抉られたままの樵の屍。その場に崩れ落ちると、不意に何者かの声が耳を打った。

「お前も呪われたのだ。」

心臓が凍りつくようなその声に、信一は立ち上がれなかった。やがて意識を取り戻す頃には、彼は神社から逃げ出していたが、身体に纏わりつく呪詛の響きを振り払うことはできなかった。

あの日以来、信一の生活には不可解なことが立て続けに起こった。家の中で物が勝手に動く音、夜毎に感じる誰かの視線、鏡を見れば自分の顔ではなく、どこか得体の知れない誰かの顔。人知を超えた何かが、確実に信一に迫っていた。

彼は村の老人、八郎に相談した。八郎は信一の話を聞くと、渋い顔で言った。

「杉の呪いは強い。あの木には、この村の過去の罪が封じられている。お前が触れたことで、その封印が緩んだのかもしれん。」

どこか物憂げに語る八郎の話に恐怖を覚えつつも、信一は事の真相に近付きたい欲望を捨てられなかった。それは恐怖を凌駕する特異な感情だった。

夜更け、信一は再び神社を訪れた。月明かりに照らされた杉の木は、不気味なまでに静まり返っていた。信一が再び木に触れると、以前と同じような痛みが走り、彼の意識は異界のような場所に飛ばされた。そこには過去の出来事、樵の最後の瞬間が映し出されていた。

「何故、俺を見捨てた…」

その声がどこからか響き、信一は叫んだ。「何を求めるんだ!俺に何をしろと!」

応えはなかったが、彼は直感的に理解した。それは樵の復讐、村全体への問いかけであり、救いを求める叫びでもあった。

信一は逃げ出したかったが、何かに導かれるように手を伸ばし、自らの罪とも思われる運命を受け入れた。村の人々の未浄化の罪、その代償としてついに彼は過去と向き合い、樵の無念を晴らすために動き始めた。

それから、緋色の杉の木の謎を解くことが信一の日常となり、その過程で村全体の抱えていた秘密が少しずつ明るみに出ていった。過去の因縁の鎖が解け始めると共に、彼自身も次第に呪いから解放されていった。

呪いは、過去の罪悪感を昇華し、やがて信一は村に安らぎをもたらす存在となっていった。夜毎に悪夢から解放され、少しずつだが確実に村の空気が変わり始めた。

しかし、信一が忘れ去られることはなかった。それは、彼が村と共に生き続ける限り、呪いが決して消えることなく、ただ形を変えて存在し続けることを示すものだった。杉の木は今もなお、村人たちの心を縛り続けている。恐れと畏敬、それが今も変わらず、夜の森から彼らを見守っているのだと。

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