私は大学生の頃、ある民俗学研究サークルに所属していました。サークルでは各地の民間伝承や風習について調査し、レポートをまとめる活動をしていました。その調査の中で、私はとある村の古い伝承に興味を惹かれ、現地に赴くことを決めました。村は山奥にあり、最寄りの駅からバスで3時間ほどの場所にありました。到着すると、村は噂通りの静けさに包まれており、どこか重苦しい雰囲気が漂っていました。
村には、かつて「呪われた遺品」と呼ばれる人形が存在したといわれています。この人形を手にした者は、不可解な災難に見舞われ、最終的に悲惨な死を迎えるという話でした。その人形は、元々村の名士の家に代々伝わるものでしたが、ある時を境に姿を消したといいます。この話を調べる中で、私は村の小さな図書館で一冊の古い書物を見つけました。そこには、その人形がどのように作られたか、そしてどのような災厄を招いたかが詳細に記されていました。
書物によると、その人形は元々村の土着信仰の儀式で使用されていたもので、古老たちが村人の生活を守るために厳重に管理していたといいます。しかし一人の若者がそれに手を出し、村に災いをもたらしたのです。その若者は恋人を連れて村を抜け出そうとしましたが、その恋人を永遠に愛してもらうため、人形に呪いを込めたのです。その結果、若者は正気を失い、やがて村を追われることになりました。そして、彼が去った後、人形も忽然と姿を消しました。
村でフィールドワークを続けているとき、私は一人の年配の女性に出会いました。彼女はこの村の生まれで、幼い頃からこの人形のことを聞かされて育ったそうです。彼女は私に、かつてその人形を隠し持っていた家は今でもひっそりと残っていると教えてくれました。そして、もし調べるなら、気をつけろと忠告してくれたのです。
事態はその翌日、急に転がり出しました。私はその空き家を訪れ、慎重に物色していました。部屋の中央には、埃をかぶった古い家具が無造作に置かれ、異様なまでにひどい臭いが漂っていました。ふと床の一部が僅かに盛り上がっていることに気付き、そこを掘り返すことにしました。中から出てきたのは、埃をかぶった木製の箱。開けると、中にはあの人形があったのです。
人形は、不気味なくらいリアルな造形で、まるでこちらをじっと見つめているかのようでした。その瞬間、私は背後に何かの気配を感じました。振り返ると、そこには誰もいません。しかし、胸の鼓動が徐々に速くなり、嫌な冷や汗が背筋を流れ落ちるのを感じました。
その晩、泊まっていた宿で妙な夢を見ました。夢の中で、人形が私の前に立ち、何かを囁いていました。何を言っているのかはわかりませんでしたが、それが非常に重要なものであることは確かでした。目が覚めた時、心臓が激しく鼓動し、息が荒くなっているのに気付きました。それ以来、私は何をしていてもその夢が頭を離れませんでした。
大学に戻った後も、その人形のことが気にかかってしょうがありませんでした。夜も眠れず、夢の中であの視線に晒される度に汗でびっしょりになって目を覚ます日々が続きました。そしてとうとう、現実で何かがおかしくなり始めました。日常の中で、視界の隅に人形の影がちらつくようになったのです。大学の図書館で資料を探している時、ふと本棚の間からじっと見られているような気がして振り向くと、誰もいない。そのような経験が何度も続きました。
いよいよ我慢の限界に達したある日、私は再びあの村を訪れる決意を固めました。私はあの人形をどうにかしなくてはならない、そう強く感じていました。村に戻ると、再びあの家を訪れ、人形を元の場所に戻しました。すると、私の背後で静かに涙を流すような音が聞こえたのです。
振り返ると、やはりそこには誰もいませんでした。しかし、私は直感しました。それは、あの若者の魂だったのでしょう。完全にその場から離れるまでは、心から安堵することができませんでした。それから、私の夢に人形が現れることはなくなりました。
あの時の出来事から年月が経ち、私は社会人となりました。しかし、あの人形のことを考えると未だに背筋が寒くなります。あの村に伝わる話は、単なる古い伝承ではなく、何かもっと深い意味を持っているのかもしれません。それ以来、私は物の背後にある歴史と、それにまつわる人々の思いの重さについて考えることが多くなりました。
人生には、忘れてはならない真実があるのかもしれません。それが何であれ、私があの村で経験したことは、私にとって人生最大の学びとなりました。そして、もう一度村を訪れようとすることは、未だに私にはできないでいます。人形は戻され、村の伝承も再び眠りにつきましたが、私の心の中には、今もなおその影が消えることはありません。