私はその日、いつものように仕事を終え、夜の静かな街を歩いて帰っていた。都会の喧騒から少し外れたこの辺りは、灯りの少ない薄暗い路地が多い。普段なら何も感じずに歩いているこの道も、その夜ばかりは違った。
あるビルの角を曲がったとき、私の視線は否応なく吸い寄せられた。その先にあるのは、小さな公園。昼間は子供たちの遊び場となるその場も、夜になれば怪しげな雰囲気を醸し出す。人一人いない静寂が、いつも以上に肌に沁みた。
公園の中を通り抜けようと足を踏み入れた瞬間、背筋にゾクリとした感覚が走る。何者かの視線を感じたのだ。私は辺りを見渡したが、人気はない。そう思った一瞬、ブランコの方から小さな物音が聞こえた。風に揺られただけだろうと、自分を納得させ先を急ぐことにした。
だが、その時の違和感は消えなかった。少し歩を進めたところで、またもや視線を感じる。再度振り返るが、やはり何もない。もう一度公園を見渡すと、ブランコは確かに風もないのに微かに揺れていた。私は一刻も早くその場を立ち去ろうと心を決め、早足で公園を抜けた。
家に着くと、どっと疲労感が押し寄せてきた。シャワーを浴び、ベッドに横たわっても、眠りは訪れない。どこか胸騒ぎが残ったままだった。あの公園、あの視線、あの揺れるブランコ――頭の中で何度も繰り返す映像に苛まれた。
数日が経ち、その出来事も次第に記憶の片隅に追いやられようとしていた。その日、仕事も一段落し、いつもの帰り道。だが、例の公園に差し掛かった時、足は自然と止まってしまった。なぜあそこを見にいこうと思ってしまったのか、自分でもわからない。ただ、どうしても気になったのだ。
公園の中に入ると、あの日と同じく静寂が支配していた。異様なほどに静かで、まるで周囲の時間が止まったかのよう。それでも、今日は何も起きないはずだと自らに言い聞かせた。だが、心のどこかで、何が待っているのか知りたくて仕方がなかったのも事実だった。
ぶらりと歩いて、ふとブランコの方に目を向けた。すると、座っていたのだ。薄暗がりの中でもはっきりと見える小さな影。子供だ。なぜこんな時間に、なぜこんな場所に?
私はおかしいと思いつつも、その子供に近づいてみた。しかし、考えれば考えるほど、その状況は異常だった。例えどんな事情があろうとも、夜の公園に一人でいるべきではない。
距離を詰めていくと、次第にその姿がはっきりとしてきた。やはり子供だ。でも、何かが違った。彼女の顔は、どこかこの世のものとは思えないような表情で、笑顔だった。妙に冷たく、光を吸い込むような目が私を見つめている。
「どうしてここにいるんだい?」私は思わず声を掛けた。
その時、ふっと視界が揺れたかと思えば、次の瞬間にはすべてが消えていた。子供の姿はもちろん、そこにあったはずのブランコまでも。あたりは元の静寂に包まれていた。まるで今見たものが幻だったかのように。
私はその場を離れ、帰宅したが、家に着いてもなお混乱が収まらなかった。一体何を見たのか。あれはただの夢だったのか。それとも何かの予兆だったのか。
それからというもの、あの場所に近づくことは出来なかった。心のどこかでまたあの子供に再会することを恐れたからだ。それがただの一時的な現象であったとしても、あの目だけは、どうにも頭から離れることがないのだ。
友人や家族に話しても、困惑した表情を浮かべるばかりだ。「疲れているんだよ」「ストレスがたまっているんだね」と言われ、そうかもしれないと思う自分と、やはりあれは何か違うと感じる部分の葛藤が続いていた。
数ヶ月が経ち、どうにか日常を取り戻そうとしていたある日、衝撃の事実を耳にした。あの公園では、かつて事故で亡くなった子供がいたという噂だ。さらに驚くことに、その子供の特徴が、私があの夜に見た子供の様子と一致していた。
私は体の芯から冷たくなるのを感じ、その日から公園には一切近づかなくなった。あの出来事が現実だったのか、それとも単なる錯覚だったのか。真相は未だ分からないが、私にとってそれは忘れられない出来事となった。
あれはただの偶然だったのだろうか。それとも何か意味があったのか。以降、あの場所を避け、普段の生活を送るようになったが、あの子の記憶――あの視線は、未だ私の心の中に住み着いている。ただ陰鬱な夜の訪れと共に、しばしばその目と再会することを恐れて生き続けているのだ。