不思議な民宿での体験

違和感

私は、大学時代の夏休みに友人数人と一緒に、山奥にある古い民宿に泊まりに行ったことがある。その民宿は、長年経営されていたが、利用者が減ってきたため廃業寸前だった。友人の一人が民宿の家族と知り合いで、格安で泊めてもらえるというので、興味半分、楽しみ半分で行くことにした。

民宿に到着したのは、夕方ごろだった。そこは、古びた木造の建物で、どこか懐かしさと不気味さの入り混じった雰囲気があった。周囲は深い森に囲まれており、日が落ちるとあたりはすぐに暗くなった。民宿の家族はとても親しみやすく、私たちを温かく迎え入れてくれた。

夜になると、誰もいないはずの廊下から「コツ、コツ」と小さな足音が聞こえてきた。私たちは音の正体が分からず、怖さを感じたが、悪戯でもされているのかと思い、意図的に気にしないようにした。しかし、夜中になると足音は何度も聞こえてきて、その度にゾクッとする寒気が背筋を走った。

次の日、私たちは周囲の散策をしたりして、昼間は楽しんで過ごした。しかし、夜になるとまたあの足音が始まる。そこで友人の一人が「やっぱりおかしい」と言い出した。最初は怖がりだと思っていたが、どうやらその足音が誰からも出ているものではないと確信し始めたようだった。

確認のため、私たちは全員で廊下を歩きながら足音がどこから聞こえるのか探ることにした。足音の方へ近づくとそれはぴたりと止まり、また少しすると別の場所から再び聞こえてくる。音ははっきりと聞こえるのに、その正体を確認することはできなかった。

さらに奇妙なことがあった。私たちが泊まる部屋には鏡が一面にあり、それ自体は特に変わったものではなかったが、夜になると鏡に映る自分たちの影が妙に違和感を感じさせた。最初は、自分が疲れているせいで見間違えているのかと思っていたが、鏡に映る影が何かをこちらに向かって訴えているかのような、そんな錯覚に陥った。

そんな調子で夜通し起きていたとき、友人の一人がふと、「この鏡は何なのだろう」と呟いた。他の友人もその言葉に反応し始め、皆で鏡に見入る形になった。すると鏡の中の廊下が歪んで見え、まるで鏡の向こうに別の世界が広がっているかのようだった。

その瞬間、背後で「コンッ」というノックの音が聞こえ、私たちは一斉に振り返ったが、誰もいなかった。恐怖と好奇心が入り混じったまま、一人が「ここを離れるべきだ」と言い出した。確かに、その場にいることがどこか危険に思え、私たちは翌朝には民宿を後にすることに決めた。

不思議なことに、民宿を後にしてから日常生活に戻ると、一連の出来事がまるで夢だったかのように感じた。しかし、あの足音と鏡の違和感は忘れられず、今でも時々思い出しては背筋を冷たくする。

後日、民宿に詳しい人に聞いたところ、あの場所には昔から不思議な話が多かったらしい。地元の人たちはあの鏡のことを「境界の窓」と呼び、何かが入り込んだり、こちら側から吸い込まれるのを避けるよう、無闇に近づかないようにしていたという。それを聞いて、私たちは改めてあの場所の不思議さを実感したが、今となっては確認する術もない。ただ、ひとつの謎を残した夏の出来事として、心のどこかに引っかかっている。

長年、あの音が何だったのか、あの鏡には何が映っていたのかはわからず仕舞いだ。しかし、そのおかげで、見えないものを恐れる感覚は研ぎ澄まされた気がする。何かがおかしいともう一度でも感じたとき、それはもう現実の一部なのかもしれない、そんな不確かで捉えどころのない恐怖をあの民宿で教えられたように思う。

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