高校を卒業して数年が経った頃、私は地元に帰ってきた。実家は小さな田舎町にあり、高校時代の友人たちとも疎遠になっていたが、たまにふと思い出しては懐かしさに浸ることがあった。ある日、久しぶりにその友人たちと再会することになり、地元の居酒屋で集まることにした。
その日は平日だったせいか、店内は静かだった。昔話に花を咲かせ、笑いが絶えなかった。しかし、ふと気づけば、私は何か変な違和感を感じていた。店内の空気がどことなく重く感じられるのだ。音楽が鳴っているわけでもないのに、妙に空間が歪んでいるような感覚。それに気づいたのは私だけだったのかもしれない。
その時、一人の友人が急に話題を変えた。「そういえば、この町に不思議な噂があるらしいよ」と言うのだ。彼の話によれば、夜中に町を歩いていると、見覚えのない小さなドアがどこからともなく現れることがあるらしい。そして、そのドアを開けると、全く違う世界に通じているのだという。誰しもが好奇心をそそられたが、またすぐに元の話題に戻ってしまった。
集まりが終わり、帰路に着く頃にはすっかり深夜になっていた。星がちらちらと輝く夜道を一人で歩いていると、またあの違和感が襲ってきた。何かが私の後ろについてきているような、しかし振り返っても誰もいない。ただ、風が木々を揺らす音が妙に耳に付く。再び歩き出すと、その音はすぐに消え、代わりに静まり返った。
そんな状態でしばらく歩いていると、ふと目の前に小さなドアが現れた。時の流れが少しだけ止まった気がした。まさか、と思いつつも、私はそのドアに近寄った。そのドアはまるで、人を誘い込むかのように私を待っているように見えた。私はドアノブに手をかけると、ひどく冷たかった。恐る恐るドアを開けると、鼻をつく腐ったような臭いが漂ってきた。
それでも気になって、私は覗き込む。そこには、見覚えのあるような、でもどこか違和感のある風景が広がっていた。この町のようで、この町ではない。色あせた看板、苔むした道。そして、人影はまるでそこにずっと立ち尽くしていたかのように、動かない。
何かがおかしい。そう強く感じた私は、すぐにその場を離れることにした。ドアを閉じて振り返った瞬間、背中に冷たいものが走る。それはただの風だったのかもしれないが、確かに何かが触れたような感覚だったのだ。
家に帰ってからも、その出来事は何度も脳裏によみがえった。あれは一体何だったのか?現実と夢の狭間のような、小さなドアの向こうに何があったのか。友人たちにもそのことは話さなかった。ただ、あの場所に戻るのが怖かった。
それからしばらくして、再び町を歩いていると、またあの違和感が襲ってきた。何度も振り返ったが、私の背後には何もない。ただ、静かな夜だけが続いていた。そして、あのドアも二度と現れることはなかった。
私は結局、あれが何だったのかを知ることはできなかった。しかし、今でも時々思うことがある。もし、あのドアをくぐっていたら、私はどうなっていたのだろうか。あの見知らぬ世界に足を踏み入れ、戻れなくなっていたのかもしれない。現実と非現実の狭間で、私たちはいつも何か得体の知れないものに囲まれているのだ、と。
それから数年後、その噂を聞くこともなくなり、町も少しずつ変わっていったが、あの夜のことだけは鮮明に覚えている。そして、何かがおかしいと感じたら、自分の直感を信じた方がいいのかもしれない、と思うようになった。あの夜の違和感は、きっと私をあの向こう側から守るためのものだったのだと、今ではそう信じている。