ある日のこと、私の友人の一人、美咲が奇妙な話を持ち出した。彼女の知人の友達が最近、不可解な体験をしたという。この手の話はどこかしら誇張され、現実味を帯びないものが多いものだが、美咲が語った内容は私の心にじわじわと恐怖を植え付けていった。
彼女の話によると、その友達である由香里という女性が、最近引っ越したマンションで不気味な出来事に見舞われたらしい。彼女は仕事の都合で都内のマンションに一人住まいを始めたばかりだった。新築ではないが、駅に近く、利便性の高い場所だったという。
最初の違和感は、夜中にふと目を覚ましたときに感じた。目が覚めると、部屋の中に薄暗い影が立っているように思えた。しかし、由香里は一人暮らしであることを思い出し、きっと夢だろうと自分に言い聞かせ、再び眠りについた。
翌日、彼女は仕事の帰りに隣の部屋に住むという中年の女性とエレベーターで一緒になった。女性は親しげな笑みを浮かべ、「昨夜はうるさくしてごめんなさいね」と言った。由香里は何のことかわからず首をかしげたが、特に追及せず笑顔でその場をやり過ごした。しかし心のどこかで、不気味さがこびりついて離れなかった。
ある晩、またしても薄明かりの中で目を覚ました。今回ははっきりとした気配を感じた。重苦しい沈黙の中、ベッドの脇で誰かが見下ろしている感覚があった。暗闇に目を凝らしても何も見えないが、その不気味な存在は確かにそこにいた。彼女は恐怖に縛られたまま、体を動かすこともできず、ただその存在が消えるまでの時間を震えながら過ごした。
彼女はこのことを誰にも話せず、ひとり絶えず身の回りを気にしながら暮らす日々が続いた。ある日、帰宅すると部屋の空気が異様に冷たく感じた。そこには説明のできない寒気が満ちていた。しかも、それは日を追うごとに増していくかのようだった。
その週末、彼女は親友の麻美を家に招いた。気分転換を図りたかったのだ。麻美は部屋に入るとすぐに、「ここ、何か感じるね」と言った。由香里は驚きを隠せなかった。幽霊や霊感など普段は信じない麻美からこのような言葉が出るとは思わなかったからだ。
麻美は続けて、「ここに何かいるね。悪意はないと思うけど、何かを訴えている感じがする」と言った。この言葉に由香里は胸がざわめいた。麻美はその夜、泊まることにし、二人で夜遅くまで話し込んだ。
深夜、共に眠りについてからまたしても目を覚まされた。視線を感じるのだ。二人ともほぼ同時に目を開け、ベッドから見える部屋の隅に目をやった。それは、うすぼんやりと立っているかのように見えた。麻美は「そこにいますか?」と声をかけた。すると、何もないはずの部屋の隅から、微かに人の声が聞こえた気がした。「見つけて…」という苦しげな声だった。
翌日、二人は同じマンションに住む住人に話を聞くことにした。その結果、以前その部屋に住んでいた女性が突然何の知らせもなく姿を消したことがあるという噂を聞きつけた。彼女は孤独だったらしく、誰にも気にかけられることなく、ひっそりと消えてしまったのだという。
その女性の行方は現在もわからないままだ。由香里と麻美はそのことを思い返し、何かその消えた女性がメッセージを伝えようとしているのかもしれないと考えた。
二人は霊媒師を呼ぶことを検討し、数日後、セッションを行った。霊媒師は、居心地の悪さや冷たい空気の原因は確かにそこにいる何者かであり、「帰りたい」と涙ながらに訴えていると言った。かつて住んでいたその部屋へ戻りたがっているのだろうか?それを聞いた由香里は鳥肌が立った。
その後、由香里はその部屋を離れることを決心した。新しい住まいを探し出したあとも、ふとした時にあの部屋のことを思い出すことがある。そして、そこで体験した数々の出来事は今でも彼女の心に深く刻まれている。
件の部屋は今も空き部屋のまま。その存在を証明する術はないが、由香里が体験したことは彼女にとって確かに現実だった。そして、あのマンションを訪れる者たちは、夜になるとわけもなく心がざわつき、背後に誰かの視線を感じることがあるという。
それ以来、街で語り継がれるようになったこの話は、近所で新たな都市伝説となり不安を呼んでいる。この物語の真相を知る由香里はただ静かにその噂を聞き流す。けれど、薄暗い帰り道を歩く際には、決して振り返らないようにしているという。彼女はどこかでまだ、その目に見えない存在が見つけてもらう日を待っているのではないかと感じるのだ。