ウイルスと共存する新たな日常

感染症

私はその日、いつものように家へ帰るために電車に乗っていた。夕方のラッシュアワーで、人々は疲れ切った顔をしていた。車内の広告に目を向けると、最近話題になっている感染症の記事が目に入った。そのウイルスは、死者が蘇るという異常な性質を持つと言われていたが、正直なところ、私は信じていなかった。

最初に異変を感じたのは、電車が突然止まった時だった。アナウンスが流れ、前方の駅で「安全確認のため」と説明された。しかし、いつまで待っても電車は動き出さない。不安な沈黙が重く車内を包み、人々は次第にざわめき始めた。

約一時間後、ようやく電車が動き出し、私たちはゆっくりと駅に到着した。ホームに降り立つと、そこはいつもの風景とは違っていた。人々の目は怯え、携帯電話を片手に情報を追い求めている。駅員たちは必死に落ち着かせようとするが、耳を劈くような叫びが時折、遠くから聞こえてくる。

そして、私はすぐにそれを目撃した。ホームの端で、警察官たちが一人の男を取り押さえようとしていた。しかし、その男は尋常ではない力で暴れ、まるで何かに取り憑かれたかのようだった。最初はドラッグの影響かと思ったが、明らかに様子がおかしい。彼の肌は青白く、目はどこか焦点が合わず、そして驚いたことに、身体には古い傷口が残っていた。

その時、同行していた友人のケンが私の腕を掴み、「ここを離れよう」と言った。私たちは距離を取ろうとしたが、その時突然、駅全体がパニックに陥った。ついさっきまで普通だった人々が、次第に異様な動きを見せ始めたのだ。

何が起きているのか理解できないまま、私たちはとにかく外へ出るために動き出した。しかし、出口への道は容易ではなかった。正気を失った人間たちが道を塞ぎ、無理に突破しようとする者たちが絡まり合い、悲鳴と恐怖が渦巻いていた。

奇跡的に外に出ることができた私たちは、街の変貌に目を疑った。空気には不気味な臭いが漂い、崩壊した車両と逃げ惑う人々の群れが混乱を極めていた。これがニュースで見た感染症の実態なのかと直感したが、実感が追いつかず頭は混乱していた。

そこでケンと私は、市内の避難場所とされる大きな公園を目指した。到着すると、多くの人々が集まっており、事態の収束を待っているようだった。彼らの間に不安が充満し、時折、遠くで銃声が響く度にその不安は増していった。

やがて夜になると、感染者が増え続けているという噂が拡まり、避難場所でも不安が膨れ上がった。私たちは、感染した者が近くに来ていることを示す音を耳にし、さらに恐怖を感じていた。ケンと私は、もう安全な場所はないのかと悟り、未来が見えない状況に絶望しかけていた。

しかし、それでも生き延びるためには行動するしかない。私たちは再び動き出し、昼間の明るさが失われた街並みを駆け抜けた。その暗闇の中で、私たちは思いもよらない光景に遭遇した。あるビルの前で、数人の感染者が何かを囲んでいた。彼らは動きを止め、じっくりと何かを見ているようだった。

恐る恐る近づいてみると、そこには私とケンの知っている顔があった。それは、街でよく見かけるホームレスの老人モノだった。彼は感染者たちを前に微笑を浮かべ、優しく彼らに語りかけているように見えた。

ケンが「何故こんな時に?」と呟いた時、モノは私たちに気づいた。そして、驚くべきことに感染者たちは、モノを襲うことなくその場から去っていった。モノは私たちに手を振り、「ここが安全だよ」と言った。

私たちが彼の元へ駆けつけると、モノは静かに語り出した。彼によれば、このウイルスは生者と死者の境をなくし、一度死んだ者を異形の生命体として蘇らせる力を持つのだという。そして、その変化は生前の心の状態が関与するらしい。モノは、自分のような孤独な時間を多く過ごした者には、死後も生前の意識が残りやすいと語った。

彼の穏やかで澄んだ目を見ていると、信じられないながらも、彼の言葉に何かしらの真実を見出してしまう自分がいた。ケンと私は、彼の言葉を信じ、新たなサバイバル方法を探る決心をした。

それから数週間が過ぎ、都市全体が徐々に変貌し感染者との共存が始まっていた。モノの知識と知恵を頼りに、私たち生存者は感染者たちとの新しい関係を模索していった。彼らには生者との境界を越える独特の生活スタイルがあり、少しずつそれを理解することで、私たちは恐怖から解放されつつあった。

そして今、私はモノを思い出しながらこの体験を書いている。この先何が起こるかわからないが、少なくとも一つ確かなことがある。私たちは新しい形で共存する方法を見つけ始めたのだ。それが怖いのか、希望なのかはまだわからないが、それでも私は生きている。この体験がどこかで私と同じ境遇に立つ誰かの助けになればと願っている。

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